政治
ひやみかせ首里城再建

首里城再建を主導するのは国?県? 議論の前に押さえておきたい首里城の所有を巡る歴史

火災に遭う前の首里城正殿(資料写真)

 首里城正殿などが焼失した首里城火災から7日で1週間となった。県の管理体制の本格的な検証はこれからだが、それと同時に再建への道筋をどう描くかも課題となっている。玉城デニー知事は焼失直後に上京し、政府に早期再建を要請した。一方の安倍晋三首相も6日の閣僚会議で財源を含め、政府の責任で取り組むと表明した。しかし、国営公園とはいえ、「沖縄のシンボル」としての首里城再建が国主導で進められることに違和感を感じる県民も少なくない。再建を主導すべきは国か県か。県民の間にさまざまな意見がある。再建を巡る議論が本格化するのを前に首里城の歴史的経緯を振り返る。

 首里城は14世紀中頃に中山王察度が築城した。1392年に高楼を築いたのが正殿の始まりとされる。国王の為政と居住の場となり、王位継承の戦乱で600年余りの間に3度全焼し、その都度再建された。

 1879年には日本政府が熊本鎮台兵や警官ら約600人で首里城へ入り、国王・尚泰に廃藩置県の通達を突き付けた。武力を背景にした琉球併合(琉球処分)で首里城は明け渡され、沖縄県が設置された。


首里城の正門「歓会門」前に並ぶ明治政府軍の兵士。熊本県から派遣され「熊本鎮台兵」と呼ばれていた(日本カメラ博物館所蔵)

 1944年、沖縄戦を前に第32軍は首里城の地下に大規模な壕を掘り、司令部を構えた。結果、米軍の艦砲射撃の標的となり、灰じんに帰した。


沖縄戦で廃虚と化した首里城(大田昌秀編著「これが沖縄戦だ」より)


復帰で国所有に

 戦後、沖縄を支配した米軍政府は首里城跡地に大学設置を決める。首里城は戦前は首里区、戦後は旧首里市の所有となっていた。琉球大学の「十周年記念誌」にある中山盛茂氏の記述によると、48年、沖縄民政府の山城篤男文教部長がミード軍政府情報教育部長と首里市長の兼島由明を訪問し、大学設置のため首里城跡地の利用について相談した。首里市は市議会の決議を経て土地を譲った。


首里城跡地に設置された琉球大学の開学式=1951年2月

 72年、沖縄の日本返還で琉球大学は国に移管され、国立大学となった。琉球大の権利と義務は「沖縄の復帰に伴う琉球政府の権利義務の承継などに関する政令」で「国立学校特別会計法」の支配を受けることが明確に規定された。

 その経緯について元琉球大学職員で沖縄近現代史家の伊佐眞一氏は「土地の所有権を琉球政府から日本政府に『承継』させたことによって72年以降、県の国への依存体質を深める事態をもたらしている」と指摘する。当時の「承継」に不安を覚えたという証言記録などは残っていないといい、「楽観視していたのだろう」とも推測する。

県民の反発懸念

 琉球政府は70年、戦災文化財の復旧と首里城復元計画をまとめ、政府による整備を要請した。国は「一つの県に二つの国立公園は整備できない」と乗り気ではなかった。

 観光課長や観光文化局長を歴任し、国に整備を働き掛けた元副知事の仲里全輝氏は「山中貞則氏も『国営にするなら国有になるが県民はどう思うかな。反発は出ないかな』と気にされていた。私は国有でも県有でも県民の感情に変わりはない。全国民の大事な財産だから、と話して納得してもらった」と振り返る。86年、政府は首里城を国営公園として整備する方針を閣議決定した。仲里氏は「山中氏の力も大きかったと思う」と話す。


首里城正殿発掘の現地説明会=1986年9月

 一方で、県は琉球大跡地に県立芸術大学の建設も目指していたが、跡地は文部省が所管しており用地取得の調整は難航した。当時県教育庁文化課長の城間茂松氏は「甦った首里城」(首里城復元期成会編)で「沖振法の改正や政令書の改正でなんとしても無償取得したかった」と振り返っている。

 元開発庁長官の植木光教氏は当時、自民党の小委員会委員長を務めており「元来、首里城跡は旧首里市の所有で琉大に譲渡され、復帰で国に譲渡された。歴史的にも有償はおかしい」と県の交渉を後押しした。


復元作業中の首里城=1992年3月

 官民挙げた要請の結果、首里城は、城郭内は国営公園として、城郭外は県営公園として整備されることになった。

 焼失した首里城正殿の再建の主導を誰が担うのかについて、復元に携わってきた琉球大名誉教授の高良倉吉氏は「首里城復元整備を求め国営事業をしてきた経緯がある。県がゼロから整備できるのか。責任を持って早く元に戻せるのは誰かということを考える必要がある」と話す。


外部の化粧板が焼け、鉄筋コンクリートが残った北殿(内閣府沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所提供)

 一方、伊佐氏は「盛んに言われてきた自立ということを考えると、長い目で見て、まずは主体的に再建計画を県が立てていくことが大切ではないか」と話す。再建に向けて国と県がどのような役割を果たすべきなのか。歴史的経緯も踏まえ、丁寧な議論が求められる。



(中村万里子)









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