八重山の言葉を長年研究し「石垣方言辞典」などを発刊した宮城信勇さんが9月に亡くなったことを受けた「宮城信勇先生を偲(しの)ぶ会」(同実行委員会主催)が11日夜、那覇市松尾の八汐荘で開かれた。言語学の研究者や教え子、八重山出身の友人・知人ら100人余が出席し、宮城さんの功績や人柄を語り合った。
冒頭で出席者全員が宮城さんの遺影に向かい、黙とうした後、実行委員会代表の三木健さん(79)があいさつに立った。宮城さんが2004年の沖縄・八重山文化研究会会報で「学問研究は、健康でさえあれば60歳からでもできる」と若い人へメッセージを送っていたことを紹介。「宮城先生が話していたように人生で『もう遅い』ということはないとかみしめ、踏み出していきたい」と語った。
前石垣市長の大浜長照さん(72)は八重山の言葉で話し「宮城先生は人のため、世のためいろんなことをしてきた。30年かけて作った『石垣方言辞典』は八重山の宝だ。皆で大事にしてほしい」と話し、献杯をした。
民謡歌手の大工哲弘さんが「デンサ節」、八重山古典民謡保存会師範の宮良康正さんが「とぅばらーま」をそれぞれ披露するなど、八重山民謡でも宮城さんをしのび、別れを惜しんだ。