パニックがきっかけ、4年間外出できず 「自分には必要な時間だった」と言う20代男性が再び動き出すことにしたわけは…〈シンポ「引きこもりのホンネ」当事者語る〉上


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「不登校・引きこもりのホンネ」登壇を前に引きこもり体験を語る新屋勇太さん=北谷町のアソシア

 引きこもりや障がいがある人の就労支援を行うアソシア(北谷町)は12月1日、引きこもり経験のあるタレント・山田ルイ53世が講演する「不登校・引きこもりのホンネ」を北中城村のイオンモール沖縄ライカムで開く。登壇して当事者の声を発信する県内の引きこもり経験者3人のインタビューを事前に紹介する。会場では記事を踏まえて質問もできる。初回は4年間の引きこもりを経てアソシアで事務職員として働く新屋勇太さん(27)。 (聞き手・黒田華)

 ―引きこもるきっかけは。

 「高校にいる時、パニックの発作を起こした。動悸(どうき)が激しくなり、死んでしまいそうな恐怖感で動けなくなる。静かにしていれば落ち着くが、人といる時に起きると会話が中断するし、移動の邪魔にもなる。人と関わるのが怖くなった。発作が起きるのではという予期不安も強くなり、自由に出られない状態になるエレベーターや乗り物にも乗れなくなった。大学生になると周りはバイトなどで働いているのに自分は働いていない負い目もあった。食事も取れなくなった。働きもせず、やせた姿を見られたくなく、20歳で外出できなくなった」

 ―受診はしたか。

 「当初は内科などを受診したが原因は分からず、20歳でやっと心療内科に行った。話したいことはいっぱいあるのに“3分診療”で聞いてもらえず、気力を失った。薬も処方されたが、精神科の閉鎖病棟の怖いイメージが浮かび、薬なしで自力で治そうとした」

 ―引きこもっていた間はどのように過ごしたか。

 「病気を治さないと人と関われず仕事もできないと焦り、インターネットや本を調べてどんどん試した。効果があるものもあったが、パニックは良くならない。外に出る練習に書店やスーパーに通ったが、前後を挟まれて動けなくなるのが怖くてレジ前に並ぶことができない。回復した人の体験談や相談窓口も探した。回復者は見つからず、相談窓口はどんな人が何をするのか中身が見えず、相談はできなかった」

 ―外に出られるようになったのはなぜか。

 「いま動かないと本当に出られなくなってしまう、ぶっつぶれてでも何とかしなければと追い込まれた。信念を持って筋を通す人にあこがれていて、自分に負けたくないという思いもあった。県の支援センターに相談すると、意外にも受け入れてもらい楽になった」

 ―それ以前に人に話したことはあったか。

 「ない。いま思うと中学生の頃から人にどう思われるかが怖くて周りに合わせ、自分の思いを伝えて対話することができていなかった。『○○でなければならない』という固定観念が強く、言葉を発することに慎重になり、自分から遠ざかった。しかし心を開けないしんどさは蓄積していた」

 ―4年間をどのように振り返るか。

 「内省を繰り返し、考え続けたことが蓄積され、動きだす原動力になった。自分には必要な時間だった。その後アソシアに来て安心できる居場所ができ、初めて自分のことを話せるようになった。病気が治らなければ人と関われないと思っていたが、病気があってもできることがあると気付いた。『今の自分でもいい』と自分で自分を認められるようになった」

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来月1日、北中城でシンポ「不登校・引きこもりのホンネ」 山田ルイ53世さん講演

 「不登校・引きこもりのホンネ」(アソシア主催)は12月1日、イオンモール沖縄ライカム3階イオンホールで午後1時半開演。前売り3千円で、購入はeプラス、アソシアのHPまたはメールかファクスで。問い合わせはアソシア(電話)098(926)5175。