沖縄の指導力示すとき 原因と責任明確化必須 伊佐眞一(沖縄近現代史家)〈首里城再建 識者の見方〉


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 劫火(ごうか)で崩れ落ちる首里城を目前にしながら、私は驚きと同時に、沖縄はこの後、厳しい試練に直面するだろうとの予感に包まれた。失ってみて分かる身に迫る空虚感が、実に多くの人たちに生じたことは、それに劣らない再建への熱気となって広がっている。以下、言いたいことはいくらもあるが、紙幅もないので手短に書く。

 まず第一に、焼け落ちた日の夕方、玉城知事が脱兎(だっと)のごとく日本政府に駆け込んだ姿は、いったい何だったのか。首里城が国有であるという意識以上に、沖縄県と沖縄の人間の自助能力を吹っ飛ばした日本依存の根深さであった。この1世紀余の年月、沖縄の抱える最大の課題は、いかに自分の足で立つかに集約されているといってよい。

 親方日の丸、モノ乞い根性からの脱却が自立の要(かなめ)であるとするなら、何はさておいても私たちの強い再建意欲をバネに、どっしりと腰を据えて沖縄の指導力を示すときでなければならなかった。

 かく言うのも、沖縄は30年前40年前の経済力ではないし、人間の自立意識も昔日(せきじつ)のそれではないからである。そうした自力の努力ではどうにも足りないものがあれば、そのときは政府にも支援を要請すべきであるし、捨て石にされて破壊された首里城であってみれば当然の要求でさえある。

 誰もが言うように、首里城は沖縄のシンボルである。観光産業の目玉としての位置付けもそうだが、日本国家との関係からは、ウチナーンチュの精神的自尊心が投影されるのも当たり前だ。ならば費用と技術を今後長期に自前で投入していく覚悟と主導性こそが、政府の付与的復元からは得られない真の自信を生み出し、自立の大きな基盤となるはずである。

 第二に、この大惨事が起きた原因の徹底的な究明と責任の所在を明確にすることだ。これは絶対に欠かせない。考えてもみよ、空から隕石(いんせき)が降ってきて丸焼けになったのではないのだ。財団や県など、早くもお家芸の責任逃れが見えるが、責任を曖昧にして復元はない。既に政府は、来年度に予算を計上して再建に取り組むと明言している。財政逼迫(ひっぱく)をよそに随分と気前がいいが、辺野古に苦しむ政府首脳にしてみれば、復興支援を名目に沖縄の政治状況にヒビを入れて楔(くさび)を打ち込むことは目に見えている。

 沖縄に対する戦後最悪の強圧政権だけに、飛んで火に入る何とやらにならぬよう、片時も用心を怠ってはならない。