「ここにいるとヨーロッパのにおいを感じる」 巡り会った沖縄、フランス人の彼が感じる魅力や共通性とは… 大学非常勤講師のジスラン・ムートンさん 藤井誠二の沖縄ひと物語(10)


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オフィスのデスクで業務をこなすジスラン・ムートンさん(ジャン松元撮影)

 ぼくが連絡をとったとき、ジスラン・ムートンさんは里帰り中だった。彼が沖縄へ帰ってきた翌日、移転したばかりの那覇市中心地にある、ほぼ58号線に面した立地の雑居ビルの中に入った「アンスティチュ・フランセ沖縄」を訪ねた。まだモノも何もなく、彼は一人で家具の組み立てをしていた。「アンスティチュ・フランセ沖縄」は、フランス政府公式機関として、フランス語教室だけでなく、フランスの文化に関する発信をおこなっていく。2017年のフランス名誉領事に大使から任命されたジスランさんの新たな船出の直前だった。移転するまでは、宜野湾市で個人のフランス語教室を開いていた。

 「もう人生の3分の1を沖縄で過ごしているよ。沖縄の海や太陽、文化も食べ物も大好きで、とくに沖縄そば。ぼくの出身の北フランスは日照時間が短くて寒いし、ずっと雨が降ってる。沖縄はやっぱり海や太陽がいい。夏場はよく海にいくし、ぼくの感覚では沖縄は暑いというより、あたたかい。風も気持ちいい。東京は人が多すぎるね」

 名誉領事は自国の領事が派遣されていない地域で、その国の利益の保護や外国との文化交流等を目的にして領事業務を委託される。日本にはフランス名誉領事は8人しかおらず、ぼくは知らなくて驚いたが、ジスランさんは日本で唯一のフランス人名誉領事なのだ。沖縄でフランス人名誉領事が誕生したことは意外に知られていない。長年にわたる沖縄への関わりや、前任者の名誉領事が退任したことで名誉領事に駐日フランス大使から任命された。

柔道通じ日本学ぶ

 北フランス地方のリール市から「電車で20分くらいかかる人口8千人ほどのちいさな村」の出身。日本語を勉強し始めたのは高校1年生のときだが、柔道を通じて日本語や文化に触れていた。

 「小2から柔道をやっていた。子どものころから落ち着きがない子どもだったから。エネルギーあふれる子どもには、医者と親のすすめで、ぼくに上下関係や、相手への尊敬や謙譲が必要だということになってね。内股とか大外刈り、背負い投げとか、技ありとか、イッポンという言葉は慣れていた。柔道の先生はフランス人だから、日本語の技の名前とかがフランス語訛(なま)りだったけど」

 そう笑いながらジスランさんは言った。高校はリール市内にあったインターナショナルスクールのような公立高校の「ヨーロピアンクラス」に通った。「田舎から出たい」という思いもあったが、3年生で第3言語で日本語が選択できるのはその高校しかないという理由で同校に進学した。

時代や国を超え

在那覇フランス名誉領事、教育者として沖縄とフランスの架け橋となるため尽力するジスラン・ムートンさん=8日、那覇市久茂地のアンスティチュ・フランセ沖縄(ジャン松元撮影)

 大学は日本学科で、日本史・日本文学、日本言語、日本文明を学んだ。フランスでは大学は3年制だが、「フランスが厳しいのか、日本がゆるいのかわからないけど」単位数は日本の4年制と変わらない。大学院では言語学か社会学か、文学に分かれていて、文学コースを専攻し日本人研究者に師事、作家の遠藤周作を研究した。大学院生のときはフランス人の子どもたち相手に週に1回、日本語を教えていた。将来この分野の仕事に就きたいと思ったのがこの頃だった。遠藤周作の『反逆』を読み込み修士論文を書いた。神とは何か、人間の生死とは何かを時代や国を超えて考えた。

 17歳のときに東京で2週間、ホームステイしていた。そのときは『スラムダンク』の影響で柔道からバスケットボールに「転向」しており、大学から大学院へ進む間の期間も山梨に1年以上滞在していたが、わざわざ八ヶ岳の森の中のチームに混ぜてもらい練習するほどのめりこんでいた。

 ジスランさんは沖縄に来た後、琉球大学大学院に入り、バスケ部にも即日入部した。応用言語学の研究をして、大学院を卒業したころには、フランス語教育に関わりたいという気持ちをかためていた。

 「沖縄におけるフランス語教育のモチベーション」という論文でもジスランさんは書いたが、フランス語を学ぶモチベーションは東京と沖縄はあまり差がないという。東京でフランス語を習うのは50~60歳代が多いが、沖縄は20~30歳代が多いのも特徴的だともいう。

若者育成に貢献

 「沖縄は観光的に沖縄の文化が活(い)かされているかというとかなり疑問が残ります。ホテルをつくるより民泊を増やすとか、工夫がいると思う。ヨーロッパ人はホテルより民宿のようなところを好む傾向がある。ぼくが案内するときは恩納村より北へつれていくよ。ヨーロッパ人はコンクリに囲まれたくないから」

 フランス人がヨーロッパから沖縄にいちばん多く来ている、というのがジスランさんの皮膚感覚だ。

 「ここにいるとヨーロッパのにおいを感じる。フランスのコルシカ島に似てる。それから沖縄は東南アジアの交差点になっている。特別な位置にあるんだ。むかしから中国や台湾と仲よくしている。だから沖縄はフランスだけじゃなく、ヨーロッパからの窓口にもなれる」

 沖縄で20~30代の若者の育成に自分が役に立てる。フランスに帰るつもりはない。今はここにいた方が、名誉領事として日本にいるフランス人の役に立てるし、助けられる。日仏交流のために働くこともできる。「フランスだとぼくにできることが少なくなる」というのが彼流のグローバルな考え方だ。首里城の復興にも協力したい。

 めぐり合った沖縄という土地が、自分が役に立てるベストなところになった。ジスランさんが引き出す沖縄の魅力に、多くの人が気づいてほしい。

(藤井誠二、ノンフィクションライター)

Ghislain MOUTON(ジスラン・ムートン)​

 1984年、フランス・リール市生まれ。2007年、沖縄移住。11年、琉球大学大学院卒業。琉球大学と沖縄国際大学で非常勤講師を務める。19年9月開設のフランス政府公式機関としてフランス文化を発信する「アンスティチュ・フランセ沖縄」の教務・総務主任に就任。アンスティチュ・フランセ沖縄 〒900―0015 那覇市久茂地2の15の3嘉栄産業ビル5階 (電話)098(975)7501 電子メールアドレスokinawa@institutfrancais.jp

 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」など多数。最新刊に「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」。