アマチュア時代から輝かしい功績を残し、プロ転向後もツアー9勝を挙げてきた諸見里しのぶが、「1年間戦っていくことが厳しい」と、21日に松山市のエリエールGC松山で開幕する大王製紙エリエール・レディースを最後に今季でツアーから撤退することを表明した。次週から始まるツアー予選会(QT)には出場しないという。
「引退ということではないので」。そう前置きしつつ、現状の自分自身と若手の台頭に「プロゴルファーとして私が見せることができる魅力は何だろうと思ってしまいました」と、第一線から退く理由を明かした。
昨年8月のNEC軽井沢72ゴルフで同組になった成田美寿々、葭葉ルミの若手がギャラリーを沸かせている姿に、自身の魅力不足を感じたという。
両親の影響で9歳からゴルフを始めた諸見里。屋部中では日本ジュニア選手権などで優勝し、おかやま山陽高校時代には日本代表入りするなど、アマ時代から数々の功績を残してきた。
2005年にプロテストに合格した後、国内13戦目となる06年のSANKYOレディースオープンで初優勝を果たした。07年には日本女子オープンゴルフ選手権でメジャー初優勝を達成。当時21歳。05年の宮里藍(当時20歳)に続く史上2番目の若さで頂点に立った。08年にはアクサ・レディースも制した。
2009年は、ワールド・サロンパス・カップで頂点に立ち、国内四大大会で2勝目を挙げると、同年だけでツアー6勝。賞金ランキング2位まで駆け上がった。当時の1位は横峯さくら。同年のリコーカップで競り負け、横峯に優勝と賞金女王を奪われたことは印象深く、「賞金女王というタイトルはすごく大きいもの。あそこで賞金女王になれてたら」と振り返った。
その後は「肋軟骨(ろくなんこつ)の炎症」などを患ったため、16年の出場は7試合の全てで予選落ち。17年も結果を残せず、18年はダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメント3位が最高だった。19年は再び、予選落ちが続いており「私の中で納得した感じで終われた」という。
ゴルフという競技は「学校のようなもの。いろんな人と出会えましたし、いろんなことを学ばせていただきました。感謝しかありません」と語った。