学校に行けない…罪悪感と劣等感 人目も怖かった 転機はここにいてもいいという安心感 〈シンポ「引きこもりのホンネ」当事者語る〉下


この記事を書いた人 アバター画像 琉球新報社
不登校を経験し、臨床心理士として子どもたちに寄り添う崎原旦陽さん=浦添市のおきなわ心理臨床センター

 「不登校・引きこもりのホンネ」(アソシア主催)を前に、登壇する当事者に詳しく語ってもらうインタビュー企画最終回は、不登校を経験し、現在はおきなわ心理臨床センター(浦添市)などで臨床心理士として子どもたちに寄り添う崎原旦陽(あさひ)さんに聞いた。

 ―不登校になったのは。

 「小3の朝、おなかが痛くて行けなくなった。母は心配してあちこち病院に連れて行ってくれたが何も出ない。『病気じゃないなら学校に行くしかない』と無理やり車に乗せられたのも1度や2度ではない。行かないといけないことは分かっているが、痛くて行けない。一番分かってほしい人に分かってもらえず、世界中の誰にも理解してもらえない孤独感があった」

 「『みんな頑張って行っているのに』という罪悪感、『行けない自分は駄目なやつ』という劣等感でいっぱい。体調も悪く人目も怖くて、遊ぶのも外出も駄目と自分で制約をかけた。母にも会いたくなく、自室にこもった。好きだったお菓子作りをする間だけは罪悪感を忘れられた」

 ―行けるようになったのは。

 「『ひとり親だから』『育て方が悪い』と言われ、母もつらかったと思う。不登校の勉強をし親の会にも参加していた。鮮明に覚えているが小5のある日、帰宅した母が自分の部屋をノックした。『また来た』とうんざりしたが、ドアの外で母は『そんなに嫌だったら行かなくていいんだよ。今までごめんね』と。返事もしなかったが、やっと分かってくれたとうれしくて泣いた。そこからリビングに出られるようになった」

 「修学旅行に行きたかった。それを目標に頑張り、6年は一日も休まなかった。あまり覚えていないが修学旅行は楽しかった」

 ―何が原因だったのか。

 「母が忙しかったので、0歳の頃からベビーシッターがいた。持病で体がきつかったのだろうが、しつけがとても厳しく、弁当箱を出さない、服を脱ぎ散らかすなどきちんとしていないとリモコンやハンガーでたたかれる、自分だけ食事抜き、数時間家に入れてもらえず玄関の前で泣き続ける―といったことがあった。兄はおとなしく、自分だけ当たられていると感じていた。怖かったが、母より長く一緒にいるその人を慕う気持ちもあり『自分が悪い』『そんなものだ』と思っていた」

 「小3の時、兄と泣きながら母に訴えた。母はすぐにその人を辞めさせたが、ぷつんと糸が切れたように学校に行けなくなった」

 ―中学は。

 「部活にも入り頑張っていたが、また腹痛がひどくなり、市の適応指導教室に半ば無理やり連れて行かれた。不登校を認めたくなくて拒否していたが、行くと意外に居心地が良かった。仲間ができ、否定も見捨てもせず粘り強く付き合ってくれる大人と出会った。ずっと自分が大嫌いだったが、ここにいてもいいという安心感、必要とされる経験をして救われた。これが人生の転機になり、臨床心理士になろうと高校、大学、大学院まで進んだ」

 ―今、どのような気持ちで子どもに向き合うか。

 「一人一人経験も環境も違う。『あなたのことを教えて』と聞かせてもらい、その子が前に進む手助けをしたい。不安や恥ずかしさで硬い表情だった子が『見て』『できたよ』と言ってくれた時は泣きそうなくらいうれしい」

  (聞き手・黒田華)

   ◇    ◇

 「不登校・引きこもりのホンネ」は12月1日午後1時半からイオンモール沖縄ライカムで。前売り3千円。購入、問い合わせはアソシア(電話)098(926)5175。