米軍ヘリ窓落下後、児童避難は700回以上 危機回避に「音聞いて逃げて」 2年迎えるも変わらない現実


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米軍機が上空を飛行した状況を想定し、避難所に逃げ込む児童=2018年9月、宜野湾市新城の普天間第二小学校

 【宜野湾・名護】13日で2016年に発生した名護市安部の米軍輸送機MV22オスプレイの墜落事故から3年、2017年に宜野湾市の普天間第二小学校で発生した米軍CH53Eヘリの窓落下事故から2年を迎えた。両事故とも日本側の原因究明は十分になされないまま現在に至り、現場周辺の空では今も米軍機が飛び交っている。

<普天間第二小学校 窓落下2年>

 【宜野湾】宜野湾市新城の普天間第二小学校で起きた米軍ヘリ窓落下事故から13日で2年を迎えた。隣接する米軍普天間飛行場から飛び立つ機体は、事故前と状況が変わらないまま同小の上空付近を飛び、児童らは危険や騒音と隣り合わせの生活を強いられている。

 同小では児童の危機回避能力を高めるため、「(1)音聞いて(2)止まって(3)目視(4)怖いと思ったら逃げましょう」と注意を呼び掛けている。事故後、米軍機が飛ぶたびに避難した回数は700回以上に上った。

 事故を受け、沖縄防衛局は窓落下に耐え得る避難所を校内に計4カ所設置した。桃原修校長(60)は「児童は元気に学ばせ、常に気を配らせて生活させたい」と話した。

 同小では13日、事故を忘れないための全体集会が開かれる。当時4年生だった國吉なぎさん(11)=6年=が「同じ空の下なのに」と題した作文を読む。

 事故は2017年12月13日午前10時すぎに発生した。普天間飛行場所属のCH53E大型輸送ヘリコプターから約90センチ四方で重さ約7・7キロの窓が運動場に落下。2年と4年の児童約60人が体育の授業中で、窓は児童から10メートルほど離れた地点に落ちた。県警は、事故でけが人などがいなかったため立件できなかった。

<オスプレイ安部墜落3年>「難儀は沖縄ばかり」 区民、再発防止策求める

 【名護】米軍普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが名護市安部の沿岸部に墜落して13日で3年を迎えた。13日の時効成立を前に、那覇地検は11日、事故機を操縦していた氏名不詳の機長を不起訴処分にした。

 ある日の昼下がりの安部集落に隣接する浜辺。浜を囲む二つの岬の沖合を米軍機が南北に行き来した。区民の70代男性はヘリコプターの機影を見上げながら「難儀するのは沖縄ばかりだ。事故当時から何も変わらない」とつぶやいた。事故当日の様子は今も鮮明に覚えている。墜落直後の午後9時半ごろから、米軍機がぐるぐると集落周辺を旋回していた。翌朝、集落から約800メートル離れた浅瀬に、墜落したオスプレイの残骸が散乱していた。「なぜ米軍は区民に一番に知らせないのか」。怒りが込み上げた。

 事故から6日後、在沖米軍トップのニコルソン四軍調整官=当時=が安部公民館を謝罪のため訪れた。ニコルソン氏は事故当初「住宅や県民に被害を与えなかったことは感謝されるべき」などと発言。男性は英語で抗議した。「沖縄は米軍になめられている。言うべきことは言わなくては」。その一心だった。

 区民の間でも墜落事故は話題にも上がらなくなってきている。當山真寿美区長は「平穏が戻りつつあるとも言えるが、それがいいのか分からない」と複雑だ。米軍や日本政府に「事故が二度と起きないように対策してほしい」と求めた。