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気持ち乱れメダル逃す シドニー五輪女子重量挙げ代表の平良真理さん 指導者となった今の夢は… うちなーオリンピアンの軌跡(11)


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東京五輪を目指す教え子・宮本昌典(手前)に、自身が達成できなかったメダル獲得の夢を託す平良真理=11月、那覇市松川の沖縄工業高

 沖縄の「お家芸」と言われる重量挙げ競技で、女子の先駆者となった平良(旧姓仲嘉)真理(44)。2000年シドニー五輪から正式種目となった女子の53キロ級で7位の成績を残した。156センチの小柄な身長だが、強い体幹と力に頼らない瞬発力で世界と渡り合ってきた。現役時代の目標は「日本一」から「世界の表彰台」に変わり、思いかなわず第一線を退いた後は、指導者となった。今の夢は「教え子と東京五輪へ」。思いを託す若者が夢を実現して表彰台に立つために、その支えとなり、道を指し示す。

■日本一への憧れ

 美東中時代は柔道の谷(旧姓田村)亮子の活躍で「日本一」に憧れを抱いた。当時は砲丸投げの選手だったが体格に恵まれず「九州大会どまり」。別の階級制競技を探していた。

 そんな時、沖縄尚学高野球部の兄の紹介もあり、同校重量挙げ部の比嘉良晴監督から誘われて練習を見学すると、「これなら日本一になれる」と直感した。当時から日本代表を輩出する沖縄だったが女子選手はゼロだった。比嘉監督は全国を飛び回って女子の指導方法を研究し、平良も打てば響くように力を付けた。

 高3の時に、初めてアジア女子選手権59キロ級の切符をつかむ。「緊張であまり覚えていない」と入賞は逃したが、世界のレベルを実感すると、いずれ指導者になることも視野に入れ、日本体育大学へ進んだ。

■夢に見た世界舞台へ

 進学後、生活や練習環境に適応することに追われ1、2年は成績が伸び悩んだ。だが、国内トップレベルの競技者が集まる大学での交流、環境は平良の意識を再び「日本一」という原点を思い起こさせた。

 世界選手権でのメダルも見えてきた時、00年のシドニー五輪から女子が正式種目になるとの吉報が入る。大学の先輩でアトランタ五輪70キロ級代表の堀越典昭からの誘いもあり、自衛隊体育学校でシドニー五輪を目指し、練習に明け暮れた。

 99年11月にギリシャでの世界選手権53キロ級でスナッチ82・5キロ、ジャーク110キロでいずれも日本新をマークし、トータル192・5キロの自己記録を出し5位につけた。「絶好調だった」と平良の中で最も印象深い大会だった。日本の女子代表枠が3人という激烈な選考を勝ち抜き、代表を確実にすると、翌年5月のアジア選手権はトータル187・5キロで3位入賞。五輪の表彰台は目前だった。

■五輪の番狂わせ

 いよいよ夢にまで見たシドニー五輪。万全の状態で現地入りした平良は本番1週間前まで、自己ベストを超えるトータル197・5キロ(スナッチ85キロ、ジャーク112・5キロ)を練習で持ち上げ「これならメダルもいける」と読んでいた。

 だが本番3日前、突然のドーピング検査が平良の調子を狂わせた。減量はピークの残り1キロ。飲み水まで厳しく制限している状況での尿検査。約6時間待ったが「ぎりぎりまで体重を落としている中でこれ以上は無理」と排尿のために水を飲んだため、体重は増えてしまった。この日は本番前の最後の高重量の練習日だったが、検査のためバーベルが触れず、減量のペースも乱れて「精神的に悪い方につながってしまった」と気もそぞろだった。

 気落ちしつつも、本番は気丈にプラットホームに立った。だが「ベストな状態じゃなかった」。スナッチ77・5キロと自己ベストから5キロ低めでスタート。2本連続で失敗し3本目でやっと成功。ジャークは105キロ。トータル182・5キロは自身の公式大会ベストより10キロ近く落とした。メダル圏内と言われたが、7位入賞に終わった。「メンタルさえ崩れなければ…」。何度も後悔がおそった。

 それでも沖縄は沸き立っていた。県勢の重量挙げは84年のロサンゼルス五輪で平良朝治の5位入賞以来16年ぶり。女子選手では初の快挙だ。00年9月19日付の琉球新報紙面では、親類一同がテレビ観戦して平良を応援する姿が載っている。母・ノリ子は「緊張しているように見えた。本人は悔しがっていたが、私たちには最高の試合だった」と親族全員で喜んでいた。

 シドニー五輪後の平良は、リベンジを胸に04年のアテネ五輪出場も目指す。02年に沖縄県で教員の就職が決まると帰郷し、教壇に立つ傍らで競技を続けた。だが、その両立は予想以上に難しかった。指導者として多くの選手を育てた大湾朝民らと後輩を育成するうち、選手の成長をそばで見守る魅力に気づき、自然と第一線から離れていった。

■後進育て五輪狙う

 平良には夢がある。教え子らとともに行く東京五輪だ。小中高と指導してきた男子73キロ級の宮本昌典やリオデジャネイロ五輪でセコンドを務めた糸数陽一、女子の三宅宏実が代表獲得へしのぎを削る中、平良も彼らの背中を後押しする。

 「自分の五輪が不完全燃焼だったからこそ昌典や陽一たちに(メダルを)託す思いもある」

 東京五輪に帯同するスタッフは未定だ。だが、教え子や切磋琢磨(せっさたくま)しあった選手が東京という特別な場所で表彰台に立つ姿を思い描く。「自国開催はもう二度とないチャンス。一緒に行けたら本当にうれしい」と指導者として見る五輪の景色に胸を膨らませる。

 (敬称略)
 (上江洲真梨子)