首里城再建 識者はどうみる? 歴史文化の真価発信を 波平恒男琉球大学教授


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 首里城の火災から2カ月が経過した。正殿などが炎上、崩落する映像は衝撃的だったが、再建に向けた支援の輪も直ちに広がり、内外から多額の募金が寄せられた。また、首里城再建に向けた県民のさまざまな意見のほか、国や県の方針を伝える報道も増えてきた。

 首里城は国営公園ということで、焼失した建造物の再建は政府主導で進められることが既定路線となっている。実際、首相や官房長官らが、県民の声を採り入れながら国の責任で早期再建に取り組む旨を度々言明するなど、政府の積極姿勢が目立っている。首里城再建に向けた関係閣僚会議も相次いで開催され、今月11日の第3回会議では、前回復元された姿での再建を基本とし、新たな防災技術を採用することなど、政府の基本方針が決定された。

 政府の方針が示された後、玉城デニー知事は26日の会見で、文化財の収集や技術の継承など七つの柱からなる県の「首里城復興の基本的考え方」を発表、「首里城に象徴される琉球の歴史・文化の復興」「琉球文化のルネッサンス」に取り組むとの考えを表明した。

 首里城は、日本本土とは別個に独自の国家形成を遂げた琉球王国の歴史と文化の象徴的存在だ。琉球・沖縄の歴史には、「万国津梁(しんりょう)」「守礼の邦」「武器のない島」など、今も県民の矜持(きょうじ)や平和志向の源泉となっている事柄もあれば、薩摩島津氏の侵攻、琉球併合による王国解体と城の明け渡し、沖縄戦での第32軍地下壕の利用と城の破壊、戦争と地続きの戦後の米軍占領、今に続く日米合作の基地の過重な押し付けなど、一連の傷痕のような負の記憶も刻み込まれている。

 一見迂遠(うえん)なようだが、これらの歴史を正しく継承し、また被支配の重圧にもめげず県民が培ってきた琉球・沖縄の伝統文化を復興・再活性化し、その真価を内外に発信していくことは極めて重要なことだ。そのためにも、国費による建造物再建が、辺野古問題での県や県民の反対姿勢をなだめる材料として利用されることがあってはならない。

(政治学)