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不屈の心で日本球界を代表するスラッガーに 山川穂高さん(埼玉西武ライオンズ選手) 〈ゆくい語り 沖縄へのメッセージ〉25


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山川穂高さん(埼玉西武ライオンズ選手)

 プロ野球パ・リーグの本塁打王に2年連続で輝いた埼玉西武ライオンズの主砲山川穂高選手(28)=那覇市出身=はプロ7年目の今季、さらなる飛躍を期している。球界屈指の長距離砲として大きな存在感を示しているが、飽くなき探求姿勢と向上心は変わらない。

 2019年は本塁打43本で2年連続の40本超え、打点もリーグ2位の120打点とチームのリーグ2連覇に大きく貢献した。ただシーズン後半に調子を落とし、打順は4番を外され「悔しさしかないシーズン」と振り返る。

 だが最優秀選手(MVP)に輝いた18年に続く全試合出場も果たし、オフには年俸1億円増の2億1千万で契約更改。今季は背番号が33から3に変わる。土井正博や清原和博、浅村栄斗ら歴代の強打者が背負ってきた数字だ。

 首里城火災では再建支援金として那覇市に500万円を寄付した。常々「沖縄を背負ってるという意識がある」と故郷への思いも語っている。

全ては練習。諦めなければ必ずできる

 

 ―2019年は目標の50本には届かなかったが、2年連続本塁打王。チームもパ・リーグを2連覇した。

 「悔しさしかない。喜びは少ないです。(不振で8月に打順は)4番を外され、50本も諦めざるを得ない打撃状態だった。優勝争いの中、本塁打を狙う場合ではなかった。僕の力不足。チャンスで打てなかった」

 ―常々、全打席本塁打を狙い、ヒットはその打ち損じと言っている。

 「本塁打を狙うことがチームバッティングになる。それが僕のスタイル。だが7月からできなくなった」

 ―夏のテレビ番組で(三冠王3度の強打者)落合博満さんとの対談が話題になった。打撃理論は違う?

 「落合さんとはやり方が違う。でも落合さんのせいで調子を落としたと言う人がいたが、それは絶対ない。年間通して駄目だった。このままだと相当(成績が)落ちるなと4月ごろから思っていた。技術的には、直球をはじき返せなかった」

 ―落合さんと本塁打、打点、首位打者(打率首位)の三冠王の話も。

 「打点は本塁打に付いてくるが、首位打者はもう一人の僕がいないと取れない。僕は、打率を残す打ち方と本塁打を打つのは同じではない。三冠王は両方ができたとき。落合さんはできていたと思う。僕は一個しかできない、今のところ。(将来的には)究極のバッターになりたい。イチローさんは7年連続で首位打者で、メジャーに行ってもすぐ打った。全部がすごいバッターだ」

 ―同僚で19年打点王の中村剛也選手がインタビューで「本塁打は山川にかなわない」と言っていた。

 「頂点に立つには頭一個抜けないといけない。18年はリーグMVPを取って、19年は(同僚でMVPの)森友哉が良かったが、僕はずっとMVPを取らないといけない、というくらいの気持ちでやっている」

書道八段、ピアノは趣味 スケートやバレーも経験

 

地元ファンの前で3点本塁打を放ち、「どすこい」ポーズを決める山川穗高選手(右)=2019年5月21日、沖縄セルラースタジアム那覇

 ―お母さまの勧めで学んだ書道は八段の腕前だ。

 「保育園から中学3年までやった。やっている人には大変失礼だが、つまらない(笑)。僕は皆でワイワイと体を動かすことが好き。お母さんはとても字がきれいで、おばあちゃんもきれい。(母は)きれいな字は必ず後で生きてくると言ったがずっとやめたかった。八段取ったらいいよと言われて『じゃあすぐ取る』と。八段取ってやめました」

 ―ピアノも達者だ。

 「小学6年に仲良い友達が弾いていた影響。中学の時は音楽の先生に(合唱コンクールで)伴奏者をやらないか、かっこいいぞと言われて。今も家にあるけど野球をおろそかにしてまでではない。本当に趣味程度。引退してゆっくり弾ければいい」

 ―子どものころはアイススケートもバレーボールもやっていた。

 「楽しかったが、結局野球の方が楽しかった。(書道などが今に生きているとよく言われるが)関係ないです(笑)。野球とは違う。多少きれいな字でサインできるだけで」

 ―中部商業高校から岩手県の富士大に進学した。

 「(中部商時代の監督)盛根一美先生も当然だが、中学時代のSOLA沖縄(現大矢ベースボールクラブ)の監督大久保(勝也)さんと大学時代の青木(久典監督)さんが恩師。青木さんには野球以外も厳しく教わった。4年間しごいてくれた」

 ―高校時代から練習の「おかわり」を求める選手だったとか。

 「西武の中で今よく(練習量がすごいと)言われるが、高校時代は今の比じゃない。体力もあった。(全体練習が)終わって一人で練習し、警備員の後に帰るくらいだった」

 「大学では夜中にマイナス5度の中、練習した。僕は努力という表現は好きじゃない。全ては練習。10回やってできる人も、100回でできる人も、1回でできる人もいる。差はあるが、できるということは一緒。みんな他人と少し差がつくと諦めるが、諦めなければ結局できる。『山川はもともと才能があった、練習しなくても本塁打王取る』と言われたら最悪。それは絶対ない。センスの違い、うまい下手はあるが、練習したら必ずできるようになる」

人が寝ている間にどれだけできるか

 

今季の目標に掲げた「3」を色紙に書いた山川穂高選手。3年連続本塁打王、チームの3連覇などの思いを込めた。背番号は33から3に変わる=2019年12月、埼玉県所沢市

 ―これまで「沖縄を背負う気持ち」「ウチナーンチュが見下されないように」などと思いを語ってきた。

 「ここ数年、プロ野球でも沖縄出身選手がだいぶ活躍するようになった。ただ沖縄に帰ると、変わっていないように見えるところもある」

 ―沖縄の人は争いごとを好まないとインタビューで話しているが。

 「それはめちゃくちゃいいことで変えないでほしいが、スポーツではどうしても戦わなきゃいけない。人が10回するなら20回、100回やるなら200回と思わないと超えられない。沖縄はたぶんそう思えない人が多い。僕はめちゃくちゃうまかったわけじゃない。誰にもチャンスはある。人が寝てる間にどれだけバットを振るか。それができないならやめた方がいい。野球で飯食える人は一握り。高校ぐらいからは覚悟を持たないと。練習早く終わらないかなーと思う人はうまくならない」

 ―沖縄ではよく野球の勝ち負けや成績が精神論的に語られた。

 「(結果は)全て練習。センスや身体能力が高いだけでは駄目。プロでも練習する人はうまい。メンタルはだいたい一緒。ただ練習姿勢など、やはり関西の方などは強い」

 ―2020年の抱負を。

 「プロ6年間、満足のいくシーズンは一度もない。19年は百点満点中、20点くらい。50、60点ぐらいにはしたい。最低条件は3年連続本塁打王、3連覇、日本一、4番は1回も譲らずに。五輪に選ばれたら当然金メダルを目指すが、まずはシーズン。今度こそっていう感じです」

 ―常に高い所を目指している。

 「よくやったね、すごいねと言われるのが一番嫌。聞かないようにしている。まだ僕は全然すごくない」

 ―山川さんの活躍を沖縄の人たちは非常に楽しみにしている。19年5月に那覇のソフトバンク戦で打った本塁打には感動した。

 「あれはうれしかった。あれだけ期待され、絶対打つと言っていたんで。あとは子どもが生まれた日の本塁打だけです。19年の大満足は」

(聞き手 編集局次長・与那嶺明彦)

やまかわ・ほたか

 1991年11月23日生まれ。那覇市首里出身。市立城北小では首里マリナーズ、城北中では硬式野球のSOLA沖縄に所属。中部商高に進み、チームの県春季大会優勝に貢献した。岩手県の富士大に進学後は1年から主砲として活躍し、大学日本代表にも選ばれた。2013年ドラフト2位で西武入団。18年には全143試合で4番に座り、本塁打47本で初のタイトルを獲得、リーグ優勝にも大きく貢献し、最優秀選手(MVP)やベストナインなどに輝いた。19年も43本で2年連続本塁打王。右投げ右打ち。176センチ、108キロ。

 取材を終えて  

(編集局次長・与那嶺明彦)

強烈なプロ意識

 「努力という表現はあまり好きじゃない。全ては練習。何でもそうじゃないですか」

 山川穂高選手の一言に強烈なプロフェッショナル意識を感じた。一流選手となった今も、誰よりも早く球場に来て練習に励み、ホームの試合後は室内練習場で連日黙々と打ち込むという話はよく知られている。

 「練習の虫」という言葉はふさわしくないのかもしれない。社会人として、職業としての野球選手として、当然のこと―。そんな威厳と矜持(きょうじ)が伝わってくるようだった。

 これまでも「沖縄の人が見下されないよう先頭で頑張る」とウチナーンチュの誇りと決意を口にしてきた。故郷への強い思いは変わらず、球界の看板としての責任と重圧も増している。

 「これからもたぶん満足することはない」。理想の打撃を追い求めて妥協しない姿勢が、もう一段階も二段階も上の強打者へと押し上げてくれるだろう。


サイン色紙プレゼント

 山川選手のサイン入り色紙を抽選で1人にプレゼントします。はがきに住所、氏名、年齢、職業、電話番号を明記し、〒900―8525那覇市泉崎1の10の3、琉球新報社編集局「山川選手サイン」係にお送りください。10日締め切りです。

(琉球新報 2020年1月6日掲載)