貧しく進学できず集団就職、中卒に劣等感も… 苦労を重ねた人生に全焼の首里城重ね寄付 整備工場経営の玉栄登次さん


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 【中部】自動車整備工場を経営しながら、昨年3月に8年かけて琉球大学を卒業した玉栄登次さん(63)=うるま市勝連=が、首里城再建への支援金として10万円を琉球新報社に託した。琉大の旧キャンパスがかつて首里城跡地にあったことから首里城に愛着を感じ、苦労が続いた自身の人生とも重ね合わせる。

「座右の銘は『一隅を照らす』。次の目標は大学院進学です」と笑顔で話す玉栄登次さん=2019年12月28日、うるま市勝連の南風原自動車整備工場

 9人きょうだいの8番目として農家に生まれた。家が貧しく高校進学を断念し、16歳で愛知県の自動車整備工場に集団就職した。「仕事はきつく給料は安い。中卒という劣等感にも苦しめられた」。過酷な環境下で10年働いてためた資金で1986年、うるま市に南風原自動車整備工場を開業した。

 苦労は絶えなかった。「経営のノウハウもなければ、整備以外の知識が全くない」。一般教養を身に付けたいと97年、泊高校通信制へ入学し、40歳にして高校生となった。仕事や持病の腰痛を理由に入退学を繰り返し、入学から14年を経た2011年に卒業証書を受け取った。

 同年4月には琉大の夜間コースへ進学し、19年3月に8年かけて観光産業科学部産業経営学科を修了した。

 仕事との両立で心身共に疲弊し何度も挫折しかけたが「恩師や従業員が卒業まで背中を押してくれた」。苦しい体験、悔しい思いをした分、学べる喜びもひとしおだった。

 過去に4度も焼失し、建て直された首里城。「苦境に負けず強くたくましくたたずむ姿こそ、県民が首里城を心のよりどころと慕う根源ではないか」。玉栄さんはつらい時こそ諦めず、前を向くことの大切さを首里城から学んだといい「今度は私たちが恩返しを」と、一日も早い再建に向け幅広い支援を呼び掛けた。

(当銘千絵)