弾圧下追われる指導者 17年以降「新たな段階」に 繰り返す独立宣言 <民の思い背に 自己決定権の道標>⑤


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カタルーニャ歴史博物館に展示されているマシアー(左)、クンパンチの肖像=バルセロナ

 カタルーニャ自治州の人々がスペイン最高裁の判決に抗議した昨年10月15日、バルセロナのテレビでカタルーニャ州政府のキム・トラ首相が献花する様子が放送された。リュイス・クンパンチ元カタルーニャ政府代表がフランコ独裁政権に捕らえられ、1940年に銃殺された命日だった。

 クンパンチは政党のカタルーニャ共和左派(ERC)の指導者で、カタルーニャ政府代表を務めた。34年にスペインという連邦国家内で「カタルーニャ国」が成立したと宣言し、スペイン第2共和国「憲法擁護保証の法廷」で懲役30年を言い渡された。その後、釈放されたもののフランコ独裁政権によって再び拘束され、処刑された。

 クンパンチは、その後のカタルーニャ独立運動で象徴的な人物になっている。昨年10月のデモを現場で確認した友知政樹沖縄国際大学教授によると、デモ参加者にはクンパンチの肖像をプリントしたシャツを着た若者もいた。

 現在、ベルギーに避難しているカルラス・プチデモン前州首相だけではなく、クンパンチなど多くの指導者がカタルーニャの独立を宣言し、スペイン中央政府に追われてきた。クンパンチ同様、31年にERC党首として「イベリア連邦内のカタルーニャ共和国」を宣言したフランセスク・マシアーも、政府の圧力で独立を撤回させられた。

 カタルーニャの人々は内戦や軍事独裁政権などの下で弾圧されたが、民主化のたびに自己決定権の回復を求め、独立運動が盛り上がった。指導者が中央政府に裁かれ、処刑されても新たなリーダーが民衆運動の中から出現してきた。中でもプチデモン氏は欧州議会議員となり、国際的な注目をカタルーニャに集めようとしている。

 独立を求めて中央政府と対立してきたカタルーニャの歴史について、ポンペオ・ファブラ大学のジャウマ・ロペス教授(政治学)は「国際社会で孤立する状況は誰も望んでいない。ただ独立はカタルーニャの人々が幸福を得るためのツールだ。住民投票があった2017年以降の動きは、独立に向けた新たな段階の始まりだ」と指摘する。近年の状況を「海外で講演した際など、カタルーニャの状況に理解を示す反応が増えてきた」と語り「歴史は何が起こるかわからない。この1~2年ではないとしても、私が死ぬまでにはカタルーニャは独立しているだろう」と述べた。

(宮城隆尋)