上原正三さんを悼む 「セブン」「ハーロック」時代超え心に残る作品 世良利和


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 毎年楽しみにしている上原正三さんからの年賀状が、今年は届かなかった。いつもちょっとした激励の言葉や、ご自身の企てを書き添えてくださっていた。体調を崩されたのだろうかと心配しているところへ、思いがけず訃報が届いた。『ウルトラセブン』、『柔道一直線』、『秘密戦隊ゴレンジャー』、『宇宙海賊キャプテンハーロック』、『宇宙刑事シャイダー』などなど、上原さんが手がけた作品は時代を超えて私たちの心に残っている。

 私が初めて上原さんにお目にかかったのは、2014年春のことだ。ポカポカと暖かい日だったと記憶している。そのころ私は、上原さんの盟友・金城哲夫が共同製作した刑事ドラマ『沖縄物語』(1963年)の調査を進めており、『金城哲夫研究』に連載した論考は上原さんにも読んでいただいた。ちなみにこの『沖縄物語』は、若き日の上原さんが制作進行やチーフ助監督として参加された作品でもある。自宅に電話を入れてインタビューを申し込むと、「おう、来いよ」と快諾して下さり、上京した際に中央林間駅近くの喫茶店でお話をうかがうことができた。

 初対面だったにもかかわらず、上原さんの語り口はざっくばらんで、歯切れがよくて親しみやすかった。小学生の頃からその作品世界に接し、大きな影響を受けてきた脚本家を前にして、私には聞きたいことが山ほどあった。しかしその時の上原さんはリハビリ中で体調が万全でなく、インタビューは1時間までという約束だった。残念ながら話は『沖縄物語』に絞らざるを得ず、他は次の機会に期待しようと考えていた。

 けれども上原さんのお話は次第に熱を帯び、円谷プロからウルトラマン、金城哲夫をめぐる評価や顕彰のあり方へと広がった。中でも印象に残ったのは、金城哲夫を主人公としたオリジナル脚本『M78星雲の島唄』を映画化したいという強い意欲だった。結局インタビューは1時間どころか2時間を超え、それを撮影したビデオは私にとってかけがえのない宝物となった。実はこの追悼原稿も、その時のビデオを再生しながら書いている。

 それから4年後の2018年、今度は上原さんが私の住む岡山市へとやって来られた。岡山市が主催する坪田譲治文学賞に、上原さんの小説『キジムナーkids』が選ばれたのだ。しかも授賞式は私の自宅から目と鼻の先にある施設で行われた。この小説は沖縄の戦中戦後の世相を背景に、少年たちの心の傷や友情、米軍統治下を生き抜く姿を描いており、どこか『スタンド・バイ・ミー』を連想させる。80歳で出版された渾身(こんしん)の自伝的作品であり、上原さんがこれまでに書いてきたテーマの集大成と言えるだろう。

 今私が手にしている分厚い『上原正三シナリオ選集』の巻末には、膨大な数の作品リストが掲載されている。改めて脚本家・上原正三の偉大さを思い知らされる一方で、『沖縄物語』のフィルムを見つけるという約束も、上原さんの脚本作品について話をうかがうという約束も果たせなかったわが身の怠惰が悔やまれてならない。上原さん、たくさんの素晴らしい作品と貴重なお話をありがとうございました。心からご冥福をお祈りします。 (岡山理科大学兼任講師・沖縄映画史)
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 上原正三さんは2日に死去しました。82歳でした。

自伝的小説「キジムナーkids」が坪田譲治文学賞を受賞し、本紙取材に応じる上原正三さん=2018年1月、東京都内