音楽家、歌で抵抗続け 文化弾圧に立ち向かう<民の思い背に 自己決定権の道標>⑧


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「カタルーニャのような歌が琉球にも必要だ」と語る友知政樹教授=ベルギー・ブリュッセル

 「鳥たちはこう歌う。ピース(平和)、ピース、ピースと」。1971年10月24日、カタルーニャ自治州出身のチェロ奏者パウ・カザルスは国連本部で演説し、カタルーニャ民謡「鳥の歌」を演奏した。哀切な音が響いた。カザルスはフランコ独裁政権に反発してフランスに亡命し、後にプエルトリコに移り住んだ。国連総会に招かれ、国連平和賞が贈られた際の逸話だ。当時94歳だった。

 カザルスは独裁に抗議し、フランコ政権を承認する国では一切演奏しなかった。カタルーニャの独立運動で象徴的に語られる人物の一人だ。「芸術家は人間性の尊厳に仕える」「音楽家には政治的責任ではなく、道徳的な責任がある」などの言葉を残し、人道主義者、平和主義者として知られた。

 独裁政権下でカタルーニャ語が禁止され、音楽をはじめとする文化も弾圧された。しかし文化の担い手たちは抵抗をやめなかった。

 バルセロナで連日、繰り広げられるデモの掛け声はリズミカルだ。さまざまな歌も歌われる。警官隊が市内中心部に座り込む人々を排除しようとすると、人々は手拍子と「通りはいつでも私たちのものだ」という掛け声で抗議する。

 独立運動で象徴的に歌われる曲にルイス・リャックが歌う「レスタカ」(杭(くい))がある。研修でカタルーニャ州に滞在している友知政樹沖縄国際大学教授によると、歌詞は〈おれたちを縛り付けている杭〉についてつづられる。杭はとても重いが〈みんなで引っ張ればそれは倒れる〉〈そしておれたちは自らを解放することができる〉と歌う。

 友知教授は「独立運動の中で歌の存在は意義深い」と指摘する。世代を超えて広がるカタルーニャの運動について「琉球にもさまざまなアーティストがいるが、カタルーニャで歌われているような曲の琉球バージョンが必要だと感じる」と語る。

 さらに1970年代に歌手や民衆が、さまざまな歌をカタルーニャ語で歌うことで独裁政権と闘った「ノバ・カンソン」運動を挙げて「全てしまくとぅばのロックなど、新しい歌が広く歌われれば言語の復興にもつながる。琉球のアイデンティティーはさらに強く意識され、新たな世代による自己決定権の行使につながるのではないか」と述べた。

(宮城隆尋)


 スペイン北東部カタルーニャ自治州で、自己決定権回復を求める運動が転換点を迎えている。沖縄と共通する課題を抱える人々の現在を取材した。