建築に立ちあらわれる“沖縄” 街歩きで集落の成り立ち、暮らしが伝わる 一級建築士の普久原朝充さん 藤井誠二の沖縄ひと物語(12)


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 『沖縄島建築』という単行本が沖縄で静かに売れている。写真家の岡本尚文さんが撮った沖縄独自の数々の建築物の写真集なのだが、監修をつとめているのが建築家の普久原朝充さんだ。現在は那覇市安里にあるアトリエNOA(ノア・本庄正之代表)につとめている。

 本の表紙の写真は与那原の聖クララ教会。昭和28年に着工した長い時間を経た建物だ。その歴史も本書を読むとわかる。建物史や図解、細部の見どころの解説などを普久原さんが担当していて、聖クララ教会ならたとえば建物を特徴づける「ステンドグラス」や「聖堂の花ブロック」、「手すり」、「バタフライ屋根」といった専門家ならではの見どころや特徴をわかりやすく指南してくれる。この本を手に沖縄のあちこちの街を歩けば、それまで見慣れていた風景が違って見えてくるだろう。

「(仮称)ともかぜ振興会館建設工事」現場に立つ普久原朝充さん=2019年12月、那覇市金城(ジャン松元撮影)

小さな発見

 「建築は土地や街に定着するものだから、必然的に“沖縄”が立ちあらわれてきます。建物だけを見るのではなくて、建築を通じて街や集落の成り立ちや人々の暮らしもわかってくる。この本では、いわゆる”名建築”だけじゃなくてもふつうの民家も取り上げていて、それを見るときの楽しみ方も書いています。建築もふくめて、ちいさな発見を重ねていくことが街歩きの醍醐味だと思います。沖縄の人はあまり街歩きをやらないけど、もったいないです」

 そう言って普久原さんは笑った。この教会はぼくも訪ねたことがある。簡素で静謐(せいひつ)な空間で、経年で褪(あ)せた建物が味わい深さをあたえていた。すばらしい居心地だった。私はキリスト者ではないが、朝の光がステンドグラス越しに感じられたら、とても多幸感に包まれるだろうと思った。

 そのときはじつは作家の仲村清司さんと、当の普久原さんが一緒だった。この頃からぼくは沖縄の街の貌(かたち)が気になって仕方なくて、3人でほっつき歩くちいさな旅を繰り返していた。旅の記録は『沖縄 オトナの社会見学R18』という「街歩き本」にまとめたのだが、今回の本は建築家の本領発揮というべきなのだろう。普久原さんは『沖縄島建築』の「あとがき」にほんとうは書くつもりでいたことをぼくに語った。

 「沖縄建築の見どころの一つに、街歩きしながら建物の“ハジヌバサー”を見るとその建物の変遷がわかりますということを書くつもりでいました。端を延ばした軒先みたいな箇所の言い方が転じて、増築箇所になったとでもいいましょうか。今回の本に関わる過程でハジヌバサーという言葉を知りました。上階を建てる予定の”つのだし住宅”とか、“下駄ばき”とも言われるピロティもそうです。1階を駐車場にしていたり、そういうところを見ると増改築の歴史や、子どもや孫が生まれたらこうしたいという施主の思いが想像できます。沖縄は入り組んだすーじぐゎ(筋道)沿いに、それが目に見えるかたちで多いのです」

生きた勉強

古い民家が建つ小学校時代の通学路付近を笑顔で案内する普久原朝充さん=2019年12月、那覇市内(ジャン松元撮影)

 ぼくらがつくった『沖縄 オトナの社会見学R18』に普久原さんは、[ウチナーチュの半分は沖縄のことを知らない]と題した文章を寄せている。

 [自分の無知を嘆くより、発見することを楽しもうと思い至ったのは街歩きを通してだった。他人にとって既知のことでも、自分にとっての「発見」と感じられるような瞬間があったりする。また、生まれる以前の歴史を感じつつ歩くときは地元に居ながらにして観光客のような気分を味わえる。頭では知っているつもりでも訪れたことがなかった場所に実際に行くと、また新たな知らないことを発見することもあった。]

 いま読み返してみても慧眼(けいがん)だと思う。『沖縄島建築』もこういった彼の問題意識と行動の範疇(はんちゅう)にある。だからもっと、とくに若い人にわが街の街歩きを楽しんでほしい。そう普久原さんは思っている。

 「ぼくも建築家の先輩方から街歩きの楽しさを教わったんです。大学時代に建築を学んでいるときも、街を歩いて地図をつくるという課題が出て、地域の人たちと親しくなったりして、生きた勉強になりました。でも、今は街を歩きながら写真を撮ったりしていると、大学あてに苦情みたいなものが来ちゃって、やりにくくなっているみたいですが」

胸に刻む思い

 那覇の沖映通りのすぐ脇にあったナイクブ古墳群の大半を「再開発」されて、どこにでもあるような公園に姿を変えつつある。「ほんとうにもったいないと思うけれど」と彼は苦虫を噛(か)んだ。

 「旧農連市場もそうですが、沖縄ではノスタルジーや施主の思い、地域の歴史、老朽化や防災、法律や条例などのはざまでぼくらは苦労します。大きな芸術作品としての建築を手掛けたいという建築家もいるはずですが、いま求められているのは課題解決型の建築家だと思います。そのためにもその地域の歴史を知る努力を大事にしています」

 現在進行中の、彼が設計監理している工事現場に許可を取って入らせてもらった。那覇市の新しい保健センターと、集会場など地域振興のための複合施設が完成する予定だが、そこには沖縄の戦後処理問題が横たわっている。旧日本軍飛行場用地として強制接収された大嶺村の土地が、戦後もアメリカ占領下にあったことなどが影響し、地主らにとって納得できる補償が得ることができなかった。戦後処理として地域に資するものを建てるというのも、地主らの苦渋の選択の結果だった。建物は手段であって目的ではなく、建物を通じて大嶺の先人たちの生きた証を伝えたい。そういったことを地主会の会長は事あるごとに念を押してきた。普久原さんはしっかりと胸に刻んでいる。

(藤井誠二、ノンフィクションライター)

ふくはら・ときみつ

 1979年那覇市生まれ。琉球大学環境建設工学科卒業。現在アトリエNOA勤務の一級建築士。仲村清司、藤井誠二との共著作に『沖縄 オトナの社会見学 R18』(亜紀書房)、『肉の王国 沖縄で愉しむ肉グルメ』(双葉社)がある。2019年12月に監修作『沖縄島建築 建物と暮らしの記録と記憶』(トゥーヴァージンズ)を出版。2月23日にジュンク堂書店那覇店で『沖縄島建築』の出版トークイベントを行う予定。

 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」など多数。最新刊に「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」。