子どもたちを襲った悲劇に思い寄せ 新作組踊「対馬丸」上演


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対馬丸の甲板で踊りや歌を歌って時間を過ごす子どもたち=19日、那覇市泉崎の琉球新報ホール

 新作組踊「対馬丸」(大城立裕原作、山城亜矢乃組踊脚本・演出、対馬丸記念館主催)が19日、那覇市の琉球新報ホールで上演された。対馬丸遭難から75年、組踊上演300年を迎え企画された公演で、昨年10月以来の再演となった。北谷町の小中学生とプロの組踊立方、地謡が出演。組踊を通して反戦を訴え、平和への願いが込められた熱演が会場いっぱいの観客を魅了した。

生き残った武志(名幸明穂・中央)に幸太郎の安否を問う祖父の幸仁(宇座仁一・左)

 舞台は時の主(金城真次)の唱えで、対馬丸に乗り込んだ子どもたちが甲板にいる場面から始まった。疎開のため長崎に向かう途中、やがて見えなくなる沖縄を眺める。本土の紅葉や雪を見られることを楽しみにしたり、別れた家族に思いを馳せた。

 1944年8月22日午後10時頃、米潜水艦の攻撃に遭う場面は地謡の演奏と時の主の唱えで表現した。幸い命拾いした玉城武志(名幸明穂)は友達とはぐれさまよう。武志の悲しみを地謡の「宇地泊節」が表現した。武志は母親の玉城トシ(廣山えりか)と再会するも、大嶺幸太郎(星田馬佑)の祖父・幸仁(宇座仁一)から孫の行方などをきつく問い詰められる。対馬丸が撃沈され逃げる様子を武志が動きを交えながら再現する。トシは武志をかばうが、生き残ってもつらい思いをする。

 しばらくして那覇市一帯を10・10空襲が襲う。逃げ惑う人々の動きを暗い舞台と真っ赤なスクリーンが映し出し、点滅する照明も空襲の激しさを表した。空襲を生き延びたトシは武志を失った悲しみを唱え、“戦争さえなければ”と訴える表情も引きつけた。

 終盤、時の主が「今の世の中はどうだろうか」と問い、対馬丸に乗り込んだ子どもたちが手をつないで踊り、平和な世界を願って歌う。光の差す方に向かって静かに歩んでいく。鎮魂の願いと戦争を風化させないというメッセージが伝わった。組踊の上演前には、北谷町少年少女三線教室などによる「平和の願い歌~てぃんさぐぬ花・月桃の花・新安里屋ユンタ」、女流組踊研究会めばなの「鎮魂の舞~光のもとへ~」が披露された。公演の問い合わせは対馬丸記念館(電話)098(941)3515。
 (田中芳)