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公設市場に入りきれなかった「露天商」から老舗へ 田芋の専門店「三芳商店」と通りの変遷<まちぐゎーひと巡り 那覇の市場界隈3>


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 旧・牧志公設市場の向かいにユニークな看板を見かけた。田芋・島バナナ専門店を掲げる「三芳商店」だ。

 「この場所に店を構えて、もう40数年になります」。二代目として店を切り盛りする宮城洋子さん(63)はそう語る。「三芳商店」を創業したのは、洋子さんの義父母にあたる宮城芳信さん・トヨさんご夫婦だ。トヨさんは田芋の一大産地として知られる宜野湾市大山の出身で、戦後間もない頃から公設市場の近くに露店を出し、田芋を販売していた。

田芋・島バナナ専門店の看板を掲げる三芳商店=那覇市松尾

 「義母の時代は、大山の農家さんを10軒近く抱えて、1軒ぶんの田芋を1日で売るほど需要があったそうです。それで5人の子供たちを育て上げて、大学まで出してるんです。このあたりにはいろんな露店があって、『あの頃は何でも商売になったよ』と皆さんおっしゃってましたね」

自分の店を

義父母から引き継いだ三芳商店を切り盛りする二代目店主の宮城洋子さん

 牧志公設市場は、元をたどれば露天商を集めて立ち上げられたものだ。公設市場に入りきれなかった露天商たちは、界隈(かいわい)で商売を続けていた。芳信さんとトヨさんは「いつかは自分の店を構えたい」という思いが強く、公設市場の向かいにある2階建ての物件の購入を決める。それなりに売り上げがあったとはいえ、露天商が物件を買うと言っても最初は相手にされず、かなりの借金を抱えてなんとか購入することができた。それだけ店に対する思いは強く、宜野湾に自宅はあったけれど、トヨさんは店舗の2階で暮らしていたという。

 自分の店を構えたのを機に、「三芳商店」と名乗ることにした。店名の由来は、洋子さんの夫・芳三さん。両親は末っ子の芳三さんをとても可愛(かわい)がり、名前をひっくり返して「三芳商店」と名付けた。洋子さんは24歳で芳三さんと結婚し、自然と店を手伝うようになったという。

 洋子さんが生まれ育ったのは、パインと蜜柑(みかん)の産地として名高い本部町伊豆味である。洋子さんの父も農業に携わっており、母は農作物の行商をしていた。

 「行商と言っても、トラックに農作物を積み込んで、那覇の農連市場まで売りにきてたんです。だだっ広い市場に4トントラックで入っていって、積み込んである農作物を一晩で売って、荷台を空にして帰るんです。お金が飛び交っていて、もう圧巻でしたよ。母は姉御肌で、すごいバイタリティでしたね」

 そんな母の背中を見て育ったこともあり、商売には馴染(なじ)みがあった。それまでは保育士として働いていた洋子さんだったが、出産後に育児休暇を取得した頃から店を手伝うようになった。

経済の中心

田芋や島バナナ、果物などが並ぶ店頭

 「この通りもね、昔はすごく活気があったんです」と洋子さん。「とにかく人通りも多くて、経済の中心っていう感じがありましたよ。向かいには公設市場の外小間があって、基本的には野菜や果物を売る店が入ってましたね。うちと同じように田芋を扱うお店もあれば、ごぼう屋さんだけでも3、4軒並んで、すぐ食べるにはもったいないような良い品物を並べてたんです。このあたりは『下町』と呼ばれてたんですけど、今でも年配の方は『下町に行けばいい品物が手に入る』とおっしゃいますね」

 田芋は旧盆や旧正月の重箱に欠かせない存在だ。親芋の周りに子芋がたくさん実る様から、田芋は豊穣(ほうじょう)さを象徴する食材とされ、「子孫繁栄」の願いを込めて祝い事にも重宝される。ただ、昔に比べると需要が減ったこともあり、今では田芋と島バナナだけでなく、季節の果物を並べている。かつては活気に溢(あふ)れていた通りも、この10年で様変わりした。

 「リーマンショックがあった頃から、市場の外小間のお店が1軒、また1軒と辞めていって、人通りもすごく少なくなりました。この通りにとって一番ショックだったのは、うちの隣に乾物屋さんがあったんです。ここが一番の老舗だったんですけど、そこが閉店してしまって、大黒柱を失ったような感じになりましたね」

市場閉場

 今年6月に旧・公設市場が閉場すると、「人通りは半分どころか4分の1まで減りましたね」と洋子さんは振り返る。「それまではアルバイトを雇っていたんですけど、この人通りでは雇い続けるのは難しくて、9月からは私がひとりでやっています。どうしてもお客さんが仮設市場の方に流れていくので、新しい市場ができるまで、じっと待つしかないのかなと思ってます」

 11月14日に市場の解体工事が始まると、通りに囲いが設けられ、店の前の道幅は狭くなってしまった。もうすぐアーケードの撤去工事も始まるが、悪いことばかりでもないと洋子さんは語る。

旧・牧志公設市場の解体工事に伴う囲いが設けられた三芳商店前の通り

 「この通りには新しいお店も増えていて、通り会に参加されないお店も多かったんですよ。でも、アーケードの問題が出てきたので、どうやったらアーケードを再建できるのか、通りを活性化できるかと、今は皆で団結してるんです。これから工事が進んだとき、騒音に耐えられるかどうかもわからないし、新しい市場ができるまで未知数な部分は多いですけど、『ああ、ここは続けてるんだね』と言ってくれるお客さんもいるんです。義父母が長年続けてきた老舗を簡単に閉めるわけにはいかないので、なんとか続けて行きたいと思っています」

 様々な不安を抱えながらも、今年も田芋の季節を迎える。

(橋本倫史、ライター)

 はしもと・ともふみ 1982年広島県東広島市生まれ。2007年に「en-taxi」(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動を始める。同年にリトルマガジン「HB」を創刊。19年1月に「ドライブイン探訪」(筑摩書房)、同年5月に「市場界隈」(本の雑誌社)を出版した。


 那覇市の旧牧志公設市場界隈は、昔ながらの「まちぐゎー」の面影をとどめながら、市場の建て替えで生まれ変わりつつある。何よりも魅力は店主の人柄。ライターの橋本倫史さんが、沖縄の戦後史と重ねながら、新旧の店を訪ね歩く。

(2019年12月27日 琉球新報掲載)