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「HYはいつも沖縄にいるさ」 もっと身近な存在で40周年へ 沖縄拠点で変わったこととは… 〈結成20周年インタビュー〉下


社会
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「4人で次の景色を見せたい」と語るHYの(右から)新里英之、名嘉俊、仲宗根泉、許田信介=北谷町内(喜瀬守昭撮影)

 結成20周年を迎えたうるま市出身のバンドHY。後半はHYのライブパフォーマンスや4人になったメンバーの今後について語ってもらった。(聞き手 金城実倫)

笑いの絶えない「イーズーコーナー」

 ―9日には結成20年を記念したツアー沖縄公演が宜野湾市である。HYのライブで欠かせないのは「イーズーコーナー」で見せるメンバーの寸劇だ。

 仲宗根泉 ライブハウスでお客さんが書いてくれた手紙を読んだのがイーズーコーナーの始まりだった。その中で自分のキャラを爆発させていた(笑)。当時所属していた事務所の都合で一時期自分のキャラを封印したが、沖縄に拠点を移してからは再び全開した。HYはメンバー一人一人のキャラがはっきりしている。その強みを生かしてお客さんに笑って楽しんでもらえるようなシナリオを書いている。

 ―ライブでは観客と一緒に飛び跳ねたり、歌ったり、客席に出向いたりと、観客との距離を縮めている。

 新里英之 結成当時、北谷でストリートライブをしていた頃から始めた。自分たちの作った「ホワイトビーチ」をいかに楽しんで聴いていただこうか、客席を回りながら一緒に歌って、音楽の楽しさを共有できたらとの思いでパフォーマンスしている。

 ―活動拠点を沖縄に移したことで何が変わったのか。

 許田信介 安心感が生まれた。沖縄は心の落ち着く場所だし、近くに知り合いや家族、親戚もいる。何かあっても安心できる。

 名嘉俊 音楽をやっていて一番大変なのは体調管理だ。体調が悪くても自分の代わりはいないので、続けなければならない。そばに家族や知人がいると、安心して音楽活動ができるのは沖縄だけだと感じる。

「4人」で前へ

 ―昨年ギターの宮里悠平さんが脱退した。

 仲宗根 家族を一人失うくらい悲しかった。

 名嘉 今回の件でファンの皆さんには申し訳なく感じている。でもHYの活動は止めずに今後も続けていく気持ちがあった。ファンの方からは「HYはいつも5人だよ」と手紙をいただくが、ひーでー(新里)は「5人目のメンバーはあなたたちだよ」と伝えていて、自分もそう思う。悠平が抜けたことはメンバー全員つらいが、次を見ないといけない。「4人」で次の景色を見せたい。

 ―また「5人」になることはあるか。

 名嘉 自分たちはあり得ないくらいのスピードで前へ突き進んでいる。もし悠平が戻りたいとなった時に、自分たちの今のスピードについて行けるのかと問いたい。もうあの時の俺たちじゃないよと話した中で、お互いに相当な覚悟が必要だと思う。

 仲宗根 今後、さらに若い人たちがファンになってくれる可能性がある。その時に悠ちゃん(宮里)がいた頃のHYを知らない人も出てくる。そのファンの気持ちも考えなければいけない。この記事を悠ちゃんが読んでくれたらうれしい。

一つ一つのライブを貴重に

 ―20年後の結成40周年はどんなHYでありたいか。

 許田 想像できないが、いつまでも若くいたいと感じる(笑)。

 新里 「HYはいつも沖縄にいるさ」って言われるようなもっと身近な存在であったらいいなと思う。

 仲宗根 切実に健康で長生きがしたい(笑)。メンバーみんなが長生きできたらいい。

 名嘉 人生何があるか分からない。メンバーが作る一つ一つの楽曲やライブは貴重だと感じながら「40年」へと向かっていきたい。