ハンドボールの琉球コラソンで、前身のFC琉球時代から活躍してきた村山裕次(那覇西高―日体大出)が引退する。痛めてきた左膝の半月板の完治が難しい状態になったためだ。手術やリハビリも考えたがベテランの35歳は決断した。11日のホーム戦で引退セレモニーが開かれる。「注目を浴びたい性格ですから」と、最後のシーズンに一花咲かせるつもりでいる。
浦添市で5人兄弟の末っ子として育った。宮城小、仲西中、那覇西で活躍し、日体大ではインカレ優勝し、優秀選手にも選出。卒業後、末期ガンの母を看病するために帰沖し、後にコラソンを立ち上げる、県内ハンドボール界の“レジェンド”田場裕也に誘われた。練習場所も給与もない。協賛企業も今ほど多くはなく「らっきょうの皮をむくバイトとかをしてた。実家暮らしだから生活できた」と笑う。
チームは2008年に日本リーグ参入。資金もサポートも潤沢な実業団を相手に「まさに雑草魂。倒そうと皆がハングリーだった」。中心選手となり、新人賞を獲得した。12年に東長濱秀作(現コラソン監督)が移籍。13年には棚原良、松信亮平が加入し上昇気流に乗る。自身も「その頃が全盛期だった」と、14―15季のプレーオフ進出と4位に貢献した。ただ、その後はけがとのつきあいだった。15―16季に左膝を負傷し、出場機会が減っていった。
引退発表後も那覇西高時代にマネジャーだった妻・恵理さん(35)は「まだできるでしょ」と言ってくれる。自宅に帰ると小学生の息子2人が、数年前に放映された沖縄テレビ番組の録画で、俊敏に動く父の姿をよく見ているという。そう話す時だけ「あの時はよかったすよねぇ」と少しだけ寂しげな表情を見せた。
第2子が生まれる頃、収入の不安や遠征の多さから退団を考えた。当時、湧永製薬にいた東長濱が「俺が帰ってくるまで居とけ」と言ってくれた。その東長濱は2日のホーム戦後、監督あいさつで横に立たせ「村山を男にしてください」と11日の試合での応援を呼び掛けた。
昨年12月に通算700点を達成したが今季のフィールドゴールはゼロ。踏ん張りがきかず7メートルスロー専門のようになったが「今季終了までにフィールドで1本取りたい」と語る。「自分の全力プレーを見に来てくれる方も多い。『あいつまだやれたんじゃないか』って余韻を残し、惜しまれながら辞めるってのがいい」。最後に何か見せてくれそうだ。
(嘉陽拓也)