根拠なき「生物兵器」デマ 新型コロナウイルスとロシア<佐藤優のウチナー評論>


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 筆者が政治担当の外交官としてモスクワの日本大使館に勤務していたとき、ロシア要人の健康を管理するモスクワ健康センターを時々訪問した。このセンターの会員制クラブで大統領府や政府高官、国会議員との人脈を深めることができたからだ。センターの所長と副所長はいずれも陸軍軍医大佐だった。

 モスクワで、インフルエンザが流行したときのことだ。筆者が「今年の新型インフルエンザで、大使館員が何人も休んでいる」という話をすると、所長が「佐藤、インフルエンザは毎年新型だ。われわれはインフルエンザが流行すると、まずそれが自然の突然変異によるものか、人為的なものかを判断する習性がついている」と言った。

 筆者が「人為的に新型インフルエンザを作ることができるのか」と尋ねると副所長が笑いながら「生物兵器としてインフルエンザは有望だ。味方の将兵にワクチンを注射してから、ウイルスを散布すれば、兵器になる。われわれは常に物事を悪意に基づいて見る習慣がついている」と言った。

 この軍医たちは、恐らくGRU(ロシア軍参謀本部諜報総局)に勤務し、生物・化学兵器に関する知識も持っているとそのとき感じた。

 中国の武漢で発生した新型コロナウイルスに関して、ロシア政府が事実上運営するウェブサイト「スプートニク」に掲載された公衆衛生専門の医師でロシア国家院議員(下院)でもあるゲンナジー・オニシェンコ氏の発言を読んで、久しぶりにモスクワで親しくしていた軍医たちの顔が思い浮かんだ。

 〈オニシェンコ氏の話では新型コロナウイルスは2種類のコロナウイルスの組み合わさったものであることはすでに科学的に証明された。感染源は1つがコウモリで、2つめがヘビ(広東料理で食材に用いられるマルオアマガサとコブラ)だった。オニシェンコ氏は、「ヘビはコウモリを捕食するため、これによって生じた突然変異が人間の間で流行しはじめた」と説明している。/ウイルスは異種間のバリアをくぐって突然異変を起こし、ヒトからヒトへの感染が可能となった。潜伏期間は1日から14日。初期症状は風邪やインフルエンザに似ているが、これが表面に現れるのは病気の最終段階で、罹患(りかん)の初期段階では下痢、吐き気など消化器官系の疾患に似た症状が現れる〉(1月28日「スプートニク」日本語版)。

 さらに新型コロナウイルスと生物兵器の関係についてオニシェンコ氏はこう述べている。〈科学者らは今日、ウイルスの遺伝パスポートを集めたライブラリーを作成しており、これに照会すればいかなる専門家もウイルスが人為的に作成されたものか、それとも突然変異で発生したものなのかを見極めることができる。オニシェンコ氏は、中国で蔓延(まんえん)の新型ウイルスが人為的に作られたり、操作された人工物であることを裏付けする証拠は一切ないとの考えを示している〉(前掲「スプートニク」)。

 ロシアは生物兵器の研究を行っているので、今回の新型コロナウイルスが人為的なものでないと判断したのだ。インターネット空間では、新型コロナウイルスが中国による生物兵器であるかのごときデマが流布されているが、そのような言説には全く根拠がない。

(作家・元外務省主任分析官)