[日曜の風]新型肺炎 忖度がもたらす感染拡大


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 「一つの声しか持たない社会は健全な社会ではない。」この実にもっともで、実に素敵(すてき)な言葉を残して、この2月7日に世を去った人がいる。その人は李文亮氏。中国の湖北省武漢市で病院に勤務していた眼科のお医者様である。

 李医師は、新型コロナウイルスによる肺炎の感染拡大について、最も早い時期に警告を発した。それをしたばかりに、デマを広げて人心を騒がせたというかどで政府当局から糾弾され、反省を強いられた。その後に、ご本人が新型肺炎に感染して死亡したのである。

 これは実に恐ろしいことだ。一つの声しかない社会は、社会として不健全なだけではない。人間の命を奪うという意味でも、最も基礎的で本質的な意味で健全性を損なわれている。李医師の死が、そのことを鮮明に物語っている。

 今なお、感染死亡者の数は増え続けている。この事態は、一つの声の存在しか容認しない体制がもたらしたものだ。むろん、民主主義社会だから感染症が広がらないということはない。だが、疑念や批判の表明を許さない社会において、病弊の拡散が深刻化することは間違いない。

 中国の行政官たちは、上層部の顔色を窺(うかが)い、中央からの指示を待っていた。その間に、懸念を表明する専門家たちを無責任な流言飛語を流布する者どもだというので、黙らせようとした。この重苦しい空気に乗って、恐怖のウイルスが飛散して行ったのである。

 今ほど、あの忖度(そんたく)という言葉のおぞましさと恐ろしさが身に染みる時はない。忖度が究極の姿を取った時、パンデミックの危機が人類を襲う。忖度が徹底してしまった時、何が起こるか。新型肺炎を巡る今のグローバルな現実が、そのことを我々(われわれ)にあまりにも鮮烈に示してくれているのである。どこまで重く受け止めても足りないと思う。

 今のこの状況が、忖度の行き過ぎの産物だということを、グローバルワイドな共通認識にすべきだと思う。そして、何よりも忖度という言葉がダークな政治行政状況の温床となってきた日本において、このことを痛感し、猛省してもらいたい。到底無理な注文だとは思うが。

(浜矩子、同志社大大学院教授)