【全文】「雨が降らなきゃ虹も出ない」 HYが同じうるま市出身の玉城デニー知事と話したこと


この記事を書いた人 Avatar photo 玉城江梨子
玉城デニー知事(左から3人目)に目録を手渡したHYのメンバー=19日、沖縄県庁

 沖縄県うるま市出身のバンドHYが19日、県庁に玉城デニー知事を訪ね、首里城復興に向けた寄付金99万2822円の目録を手渡した。バンドマン、うるま市出身という共通点のある玉城知事とHY。首里城再建への思いからHYの最新アルバムの話まで盛り上がった面談の内容を全文公開する。


新里英之 HYは20周年レインボーツアーを全国26公演、その中に海外ではペルーとブラジルにも行ってきた。沖縄の人もいっぱいいて、温かく迎えられた。ツアーの途中で首里城が大変なことになって、自分たちも何かできることはないかということでこのツアー中のフロアに募金箱を設置して、みんなに呼び掛けました。そうしたらHYのファンのみんながすごい温かい気持ちで募金箱に寄付してくれて、びっくりするくらいその気持ちのパワーがありお金が集まった。それをぜひ県庁に寄付して、またすてきな首里城復興の力になってもらえたらいいなって寄付をお届けにまいりました。

知事 ツアーのさなかに首里城の火災があって、たぶんツアー中のみなさんの気持ちにもものすごくずしんとくるものがあったかなと思うんですけど、こうやってみなさんが気持ちを寄せてくれるということがこれからの復旧復興していく首里城は未来のための首里城にしようというのが僕らの新たな気持ちなんですよ。

首里城というのは歴史的には支配の象徴なんですね。首里も薩摩や江戸幕府に税金を納めないといけないから、庶民からたくさんとるために宮古、八重山に過酷な人頭税(編注・薩摩藩に支配され、重税をかけられた琉球王府は財政に困窮し、1637年、宮古・八重山の人々に対して厳しい人頭税をかけた。人頭税とは人頭に対して賦課される税制。1903年まで続いた)を強いた。ところがこの厳しい暮らしがあるから歌や踊りという地域の独自の文化につながっていったし、王府に献上するために宮古上布、八重山上布という織物も育まれた。たくさんの工芸品があるわけです。だからそういうことももう一度文化として掘り起こして、富の象徴ではなくてウチナーンチュのいろんな文化の根元みたいな感じの首里城にしていきたいなと思っています。それが(うるま市)与勝出身(編注・与勝地域にある勝連城は、琉球王国が安定していく過程で、国王に最後まで抵抗した有力按司(あじ)阿麻和利(あまわり)が住んでいた城)の僕の大きな夢でもあるんだけど。

いろんなみなさんの気持ちがこれからも未来につながっていく、そういう首里城の復旧復興に向けていきたいと思いますので、ぜひこれからもよろしくお願いします。

県知事選挙のときに「ノーレイン、ノーレインボー」「苦しいときに見上げた空に虹が架かるからがんばろうね」と言っていた。いまその仕事の役目を負っています。

新里 うれしいですね。自分たちの新しいアルバムの中の代表曲のタイトルなんですよ。「no rain no rainbow」。

知事 虹ってさ、空が暗ければ暗いほど虹が出たとき鮮やかなんですよ。青空の中では虹は存在が見えない。だから混沌とした社会とかグレーな状態のときに虹が架かっていたら大人も心がはっとするじゃないですか。「虹!」と。だからこそ虹の存在感があり、雨が降っているとき天気悪いんだけど、ノーレイン、ノーレインボーだから雨が降らなきゃ虹も出ないわけよね。だから雨と太陽とその雲の存在が全部重なり合って虹という気持ちの希望が見えるような感じがするので、ぜひHYもこれからたくさん皆さんの気持ちに虹を架けてがんばってください。

玉城知事に寄付金の目録を手渡すHYのメンバー

「今は首里城の曲を作る予定はない」

知事との面談の後の記者との質疑応答は以下の通り。

Q 知事に手渡したときの気持ちは?

新里 知事からノーレイン、ノーレインボーの話を聞けて、首里城に悲しい出来事があったがそこからみんなの気持ちをひとつにして前を向いていけば、きっと同じような美しい虹がかかって感動するんだろうな、という熱い思いを聞けたので本当に寄付を募ってHYのファンのみんなもそれに心を寄せてくれて、とっても良かったなと思った。

Q どんな首里城の復興に役立ててほしいか?

名嘉俊 改めて沖縄は愛されているなと。県内外からファンのみなさんがすごい笑顔で募金箱にお気持ちを入れてくれた中で、なんかさっき知事が言っていた「未来の首里城」にすごくわくわくした。自分たちも来月スカイフェスっていうこどもたちに夢や希望を届けられるフェスをする。クリーンなフェスを前にすごくいい話を聞けてパワーをもらった。

新里 「未来への首里城」っていう言葉がすごく印象に残っている。自分たちも首里城は「当たり前にそこにあるもの」「身近にあるもの」だったから、そんなに意識は実際してなくて。首里城何回行ったかなっていったら1、2回程度。だけどこういった出来事があって、だからこそ首里城に目を向けるようになり、そこで若い人たちも自分で稼いだお金で募金することによって、より首里城に関わったって思う人たちが増えてすごく大切にするんじゃないかなと思っている。なので、未来の首里城が本当に楽しみです。

仲宗根泉 首里城にどのように使ってほしいというのはないが、きょうは私たち4人が代表で来てますけど、本当に全国で首里城のことを応援してくれて、募金活動をしてくれる団体のみなさんや個人のみなさんがたくさんいらっしゃるので、その人たちの思いを感じながら、再建に使っていったら素晴らしいのかなって思う。

許田信介 以下同文ですけどね。知事の夢をバックアップできるように頑張って行けたらいいなと思います。

Q 20周年の節目ということで、今後の活動の抱負を。

名嘉 僕たちもものすごく山あり谷ありで。本当に音楽と向き合ったからこそ、この日を迎えられたと思うし、音楽をやっているからこそ、きょう知事にも会えてみなさまにも会えたというのがバンドやっててよかったなと思う瞬間でもあります。振り返ったんですけど、やっぱり振り返るよりも目の前を見る方がまだまだ長いこれからのバンドなので、引き続き沖縄のこの場所で書かなきゃいけないことがたくさんあると思います。音楽は。それを県内外、国外に発信していけたらと思いますので引き続きHYをよろしくお願いします。

Q 首里城の火災の件で復興の思いを込めた歌を作る予定はあるか。

仲宗根 ないですね。今のところはないですけど、もともと私たちは曲を作ろうと思って作るものではない。自分の中で沖縄という場所で生まれ育って、海にたまたま行ったらこの沖縄の人たちの歌が出てきた、降りてきたとかそういう感じなので、今後はあるかもしれないですけど。そういうふうに地道にひとつひとつの曲を首里城の曲だけにかかわらず、他の曲も大事にしながら、その中で首里城に対する思いがもっともっと深く芽生えてきたらそれはできるかもしれないですね。