障がいある中学生の入学を決めた2万人の署名 同級生が集め制度化するきっかけに… 大阪府立松原高校に根付く人権意識 〈高校でも一緒に・定員内不合格を考える〉⑧


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金城実さんと同校卒業生が共同制作した彫刻作品を紹介する大阪府立松原高校の平野智之校長=大阪府松原市

 大阪府立松原高校は、1978年に障がいのある生徒の受け入れを始めた。当時、障がいのある中学生とその同級生が「一緒に高校へ行きたい」と、2万人の署名を集めたのがきっかけだ。2006年に「知的障がい生徒自立支援コース」が制度化される原点となる運動だった。

 同校には生徒同士が支え合う「仲間の会」がある。一緒に昼食を食べたり、イベントをしたり、障がいのある生徒もない生徒も共に学ぶ環境を生徒が自らつくりあげる。「人権の集い」でも生徒が主体的に障がいについて学び合う。部落解放運動を背景に設置された同校の歴史もあり、人権擁護の意識が生徒に根付いている。

 同校の平野智之校長は高校生時代に2万人署名に協力した。その後、教師となった平野氏は、転勤がありながらも松原高校で長く勤めることになった。

 現場の教師としての最後の授業も松原高校だった。障がいのある生徒が学校行事や普段の授業で支えられたことを振り返る作文を発表し「クラスのみんな、ありがとう」と感謝を伝えた。その言葉に涙を流す生徒もいた。平野氏は「この『ありがとう』はクラスのみんなが与えた言葉だ」と授業を締めくくった。

 「一緒に学ばないと分からないこともある。同じ学級で学ぶことは障がいのある子だけでなく、周囲にとっても意義がある」と、平野氏は強調する。

 同校の正面には大きな彫刻作品がある。運動会の様子を描写した作品で、車いすの生徒が中心にいる。障がいがあってもなくても一緒に学ぶ学校の姿を象徴した作品は、彫刻家の金城実さん(81)=読谷村=が1981年に当時の卒業生と共同制作したものだ。

 金城さんは当時、大阪で高校や夜間中学校の教師をしていた。夜間中学校では知的障がいのある生徒の副担任をしていたこともあり、同校からの依頼を快諾。熱を入れて制作した。車いすの生徒を作品の中心にすることに対して「障がい者の学校ではない」というクレームを受けながらも、卒業生と一緒に大作を仕上げた。

 金城さんは沖縄で知的障がい者の高校入学が議論になっていることに「40年も遅れている」と憂い、「障がい者教育という観点で議論すると方向を誤る。周りに迷惑がかかるというのは周囲のエゴであり、隔離につながる」とくぎを刺す。

 そして「脳性まひがあろうが、重度知的障がいがあろうが、身体の障がいがあろうが、丸ごと人間なんだ。これは人権の問題だ」と語気を強めた。
 (稲福政俊)
 


 県立高校への進学を希望する重度知的障がいがある仲村伊織さん(17)と家族の活動は、ほとんどの中学生が高校進学し、社会では高校での学びが求められているにもかかわらず、成績が足りなければ空席があっても入学できない定員内不合格の問題をあぶり出した。「誰ひとり取り残さない」を理念に「質の高い教育をみんなに」を掲げるSDGs(持続可能な開発目標)にもつながる、共生社会に向けた高校のあり方を考える。