「高校に行ったから次につながった」 大阪の高校卒業生たち、学び生かし進路を切り開く 〈高校でも一緒に・定員内不合格を考える〉⑨


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廣木旺我さんが表紙を描いた雑誌「なごみすと」

 地域の小中学校や高校で障がいのある生徒が学ぶ環境が定着する大阪。そこで育った生徒らは「障がい者だから」という偏見で排除された経験を持ちながらも、充実した高校生活を送り、大学、専門学校へと進路をつなげている。

 自閉症のある廣木旺我さん(23)は大阪府立高校を卒業後、大阪市立のデザイン専門学校へ通った。現在はさまざまなイベントに出掛けて似顔絵を売るなど、得意の絵をなりわいにしている。

 小学校低学年の頃は突然、池に飛び込むなど「その日その日が大変な日々」(母照美さん)を送っていたが、担任が描かせたことで絵に夢中になり、周りの友達から「おーちゃん、絵がうまいね」と言われるようになった。

 高校では美術部に入部。卒業する時に「好きな絵を生かしたい」と考え、進学を選んだ。だが受験しようとした大阪府外の大学や専門学校で「何で障がいがあるのに受けてるんですか」と、拒否された。照美さんは「嫌われる所に行く必要はない」と憤慨。生まれ育った大阪にある全国唯一の公立デザイン専門学校に進み、腕を磨いた。

 照美さんは「いろいろあったが、高校に行ったから次につながった」と語る。

 廣木さん親子は障がいがある人の仕事や学びについて情報発信する雑誌「なごみすと」を発行している。表紙の愛らしい動物の絵は旺我さんの作品だ。

 2017年に発行された「なごみすと」の「感動第2号」には、同年8月に42歳で亡くなった北口昌弘さんの追悼特集が掲載されている。

 北口さんは脳性まひがありながら、小中を地域の学校で学び、高校、大学、大学院へと進学した。動かせる左足の親指でパソコンのキーボードを打ち、電動車いすを操作しながら高校や大学でも「共に学ぶ」道を切り開いた先駆者だ。

 北口さんが02年に執筆した修士論文「肢体不自由者生活支援システムについて」は、介助者との関係や福祉サービス、施設整備などの在り方を論じた。多角的に検証しているが、共通するのは重度肢体不自由者の自己決定を妨げないようにするにはどうすべきかという視点。論文の最後では「対等な人間関係を構築することにより、自己選択・自己決定が保障できる」と指摘した。

 昨年、北口さんの母好子さんは遺稿集を発行し、その結びで息子への手紙を書いた。「いろいろやりたかったことがあったろうと思います。そのことは、これからの人たちに託しましょう。私も頑張ります。インクルーシブ教育を目指して、インクルーシブな社会になることを」

(稲福政俊)
 


 県立高校への進学を希望する重度知的障がいがある仲村伊織さん(17)と家族の活動は、ほとんどの中学生が高校進学し、社会では高校での学びが求められているにもかかわらず、成績が足りなければ空席があっても入学できない定員内不合格の問題をあぶり出した。「誰ひとり取り残さない」を理念に「質の高い教育をみんなに」を掲げるSDGs(持続可能な開発目標)にもつながる、共生社会に向けた高校のあり方を考える。