闘志を前面に、前へ、前へ―。無尽蔵の体力で6分間攻め抜き、勝利をつかむ。レスリングで五輪のマットを踏んだ県勢は、過去に1人もいない。グレコローマンスタイル77キロ級の屋比久翔平(25)=浦添工高―日体大―日体大大学院出、ALSOK=は五輪出場をあと一歩のところで逃した父から受け継いだ攻撃的スタイルで、快挙に挑む。
■親子“3代”
沖縄レスリング界で過去に最も五輪に近づいたのは父の保(57)だった。91年に全日本選手権で優勝し、92年バルセロナ五輪の代表候補筆頭に。しかしアジア予選出場を懸けた国内の最終選考会で左足に大けがを負い、追い続けた夢は霧散した。「勝っていれば五輪出場の自信はあった」と今でも悔しさは拭えない。
そんな保に夢を引き継ぐ息子が誕生したのは95年。周囲から「お父さんがオリンピックに行けなかったから、あんたが行くんだよ」と言われて育ち、小学4年で競技を始めた。浦添工高で全国優勝を経験し、日体大在学時の2015年から全日本選手権を3連覇。17年には保以来で、県勢としては26年ぶりに世界選手権に出場し、国内トップの選手へ駆け上がった。
「翔平には『あと4年も待てないよ』と伝えてるんですよ」。次のパリ大会ではなく、必ず東京出場をと求めていると明かしてはにかむ保。屋比久も「おやじが出られなかったことが競技を始めたきっかけ。自分が出ないといけない気持ちが強い」と頼もしい。
保の南部農林高時代の恩師である県レスリング協会の津森義弘会長(72)も屋比久に夢を託す1人だ。保を息子のように思い、現役時代はほとんどの試合を応援に行った。正月には今も屋比久家がみんなで自宅を訪れる。「翔平は孫のようなもの。父のように常に前に出るレスリングで、頑張ってほしい」。“親子3代”の夢がかなう日まで、あともう少しだ。
■2点から圧力
国内でトップを走り続けてきた屋比久だが、4年前のリオデジャネイロ五輪の予選で敗退して以降、国際大会では長らく結果が残せなかった。しかし昨年7月(ベラルーシ)と8月(ロシア)の国際大会では、いずれも準優勝。
勝てるようになった背景には、どのような変化があったのか。
パワーのある選手との試合経験が豊富な海外勢は、防御力が高い。うつぶせの状態のパーテレポジションで体の重心をずらし、背後から持ち上げようとする相手の力を分散させる能力にたけるからだ。対抗策として昨夏から重点を置くのが、背後からスネで相手の膝裏を抑えて動きを止め、さらに首筋あたりに自分の頭を突っ込む攻めの形だ。
2点から圧力をかけることで相手の体が浮き、そこから投げ技やローリングにつなげる。世界のトップ選手も用いる動きで「海外の試合で点がよく取れるようになったのはこれが大きい」と好感触を得ている。
■攻めきる
世界で勝つため、注力する戦法がもう一つある。「前半からスタンドで押し、グラウンドで点を取りきる。最後まで相手を追い詰めて点を取る」という、持ち前の体力を生かした攻めきるレスリングだ。
現行ルールでは動きが低調になることを防ぐため、各ピリオドにつき1人にパッシブ(消極的な姿勢への警告)が宣告される。しかし、第1ピリオドでパーテレポジションからの攻撃権を取った選手が、第2ピリオド序盤で加点した場合、パッシブを宣告されることがなくなるため、試合を優位に進めることができる。このルールを利用され、東京五輪への出場権を懸けた昨年9月の世界選手権は初戦で敗れた。
「自分がやりたかったことを先にやられた」とすぐに反省を力に変えた。アジア予選への出場が懸かる昨年12月の全日本選手権決勝では、同様な形で最後まで攻め、4―0で完勝した。
アジア予選で2位以内に入れば東京五輪代表に内定する。これまでの国際大会で苦杯をなめた強豪の韓国や中国の選手も出場を予定するが「国際大会で決勝まで進めるようになり、自信が付いた。今なら勝てる」と気後れはない。
「高校まで沖縄にいると練習相手が少なく、今は全国で活躍する選手も少なくなっている。沖縄の選手の目標になりたい」と故郷の競技力向上にも思いをはせる。五輪出場、そして金メダル獲得へ。闘志を全身にまとい、世界の頂へ突き進む。
(敬称略)
(長嶺真輝)