prime

「お金がないと命が助からない」 市長1期目で倒れ…心臓移植で一命取り留めた男性 沖縄の厳しい現実に直面し起こした行動とは 安里猛・元宜野湾市長 〈ゆくい語り 沖縄へのメッセージ〉27


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
インタビューに答える安里猛さん=2月21日、宜野湾市内の自宅(喜瀨守昭撮影)

 市長1期目で病に倒れ、心臓移植によって一命を取り留めた安里猛さん(68)。自らの経験で知った沖縄の医療格差を埋めるべく、心臓移植の患者と家族を支える会「芭蕉の会」を立ち上げた。

 臓器移植に代表される高度医療を受けるには県外に出ざるを得ない沖縄の医療事情がある。患者にのしかかる経済的負担は大きい。それを「憲法25条の生存権の問題だ」と言い切り、「みんなで取り組むことに意義がある」という信念で活動する。

心臓移植患者ら支え「生存権」を問う

 

闘病を支えた妻・美佐子さんと庭で。運動を通して「沖縄人は命に格差があってはいけないと考えているんだね」と語る=2月21日、宜野湾市内(喜瀬守昭撮影)

 ―心臓移植の患者と家族を支える会「芭蕉の会」を立ち上げた。きっかけは。

 「僕の主治医の国吉幸男琉球大学医学研究科教授と稲福斎講師がある日、こう言った。『医療の面で沖縄とヤマトはまだ格差がある。埋めることはできないものか』と。僕は2011年に心筋梗塞で倒れ、14年に東京大学付属病院で心臓移植手術を受け、なんとか元気にさせてもらった。心臓移植は国内11施設で手術が可能になったが、沖縄ではできない。沖縄人(うちなんちゅ)は県外に出なければならないが、費用の負担が大きい。同じ命を救うにも格差がある。生かされた者としてどうにかしないと、と思った」

 ―宜野湾市長に初当選後、約1年7カ月で倒れた。

 「日曜日に草刈りしていて、みぞおちが強く痛んだ。最初は軽く考え以前かかった病院に行ったが、どんどん痛みがひどくなり、意識不明になって琉球大学医学部付属病院に運ばれた。琉大病院は移植を希望する人が移植を受けるまでの治療として心臓のポンプ機能を代行する補助人工心臓治療に取り組んでいる。僕は末期心不全で感染症を併発したため『植込み式』と呼ばれる、体内に人工心臓を入れる処置は適用できなかった。植込み式なら公務に復帰できたが、だめだったので(市長の)辞表を書いた。重さ100キロもある体外式人工心臓でどうにか生き延びたが、ホースでつながれて2、3メートルしか動けない。ほぼ寝たきりで心臓移植を待った」

お金がなければ助からない命

 

宜野湾市長選に初当選し、支持者と喜ぶ安里猛さん(中央)。この時期に病の自覚は薄かった=2010年11月28日

 ―日本では臓器移植のドナー(提供者)がとても少ない。その中で琉大病院が心臓移植待ちの患者を県外の大学病院に送り、成功した第1号だそうですね。移植前後はどうだったのか。

 「東大病院で移植手術をしたが、まずはドナーが見つかるまでの期間と術後1年は病院から30分以内の場所に住まなければならない。僕は幸運にも約5カ月でドナーが見つかったが、手術前後1年半は都内で部屋を借りて、妻も一緒に過ごした。東京の家賃は高いね。手術費などは保険も適用されるが、東京での滞在居住費、家族を含めた渡航費などは全て自己負担。患者には大きな負担となる。お金がないと命が助からない」

 ―昨年10月に芭蕉の会を立ち上げた。反応は。

 「沖縄人はね、命に格差があってはいけないと考えているんだね。ヤマトだったら助かるのにって、離島県である沖縄の苦しさを訴えたらみんな分かってくれた。会を立ち上げるとき、メンバーからは政治家の力を借りようという意見も出たの。でも、僕は一部の政治家の力じゃなくて、県民みんなが状況を変えようとすることが重要なんだと言った。実際、僕と政治的スタンスが違う議員も『この問題に保革はない』と言ってくれた。みんなで取り組むことに意義がある」

 「最初は低調で心配したけど、ある時期からどんどん反応が来た。最初の募金は宮古島からだった。新聞の記事を見た人が署名や募金を寄せてくれた。宜野湾市長田の老人クラブのみなさんは一軒一軒回って集めてくれたし、国吉教授ら琉大医学部第二外科の力も大きかった。本当に多くの人の力が集まった。署名約2万1500人、募金約1900万円は目標を上回った」

 ―会として今後どう活動するか。

 「全国心臓病の子どもを守る会県支部(宮里敏夫支部長)とも連携し、署名を携えて県に制度創設を要請した。心臓移植を受ける県民の患者と付添人が県外で手術を受ける場合の宿泊費支援など制度をつくってほしい。全市町村議会にも陳情を出し、働き掛ける。会に集まった募金は県外で心臓移植を受ける沖縄県民の滞在費を補助する」

県外での移植手術 経済的負担を支援

 

 ―宜野湾市長の任期半ばに病に倒れ、志半ばだったかと思う。

 「市長としては、小さなことだけど子どもやお年寄りが100円くらいで学校でも病院でも行けるコミュニティーバスを導入したかったね。他府県では安いバスや路面電車で移動できる。市職員時代、夫婦で旅行に行っては沖縄に安い移動手段があるといいと話していた。やりたいことはいろいろあった。車いすでも動けるように道路の舗装をきれいにしたりとか。もちろん米軍普天間飛行場の早期返還も大きな課題だ。何年たっても変わらない。しかし倒れてからは、僕は幸運にも家族にも恵まれて助かったと思っているんだ。元気にさせてもらって恩義を感じている。恩返ししたいと思っていた矢先に国吉教授から『金のある人しか助からない』と聞かされて奮起した」

 「心臓移植を待っていたり、術後に経過観察をしたりしている人たちには働き盛りで子どもがまだ小さい人たちもいる。患者が経済的に困窮している例もある。琉大病院では現在6人が心臓移植待機中だ。先生方と話すんだけど、この活動には憲法25条の『生存権』を沖縄県民にどう保障するのかが問われているんだよね」

(聞き手 編集局次長兼報道本部長・島洋子)

あさと・たけし

 1952年、宜野湾市普天間出身。普天間高校卒。72年に市職員採用。教育委員会、企画部次長などを経て2004年に助役就任、08年に副市長。10年に宜野湾市長初当選。11年に心筋梗塞を発症し、市長辞職。14年に東大病院で心臓移植手術を受けた。19年に心臓移植の患者と家族を支える会「芭蕉の会」を設立し会長に就任。本土と沖縄の医療格差の是正を求める運動に取り組む。

 取材を終えて  

(編集局次長兼報道本部長・島洋子)

医療格差に立ち向かう

 安里さんが副市長時代、私は市担当の記者で、役所のベランダでたばこを吸う安里さんをつかまえてはユンタクをした。ある日安里さんはこんなことを言った。「昔の革新の議員は地域で人を集めて政治や行政について膝突き合わせて話をしたものだけれど、最近はそれが衰えているよね」。

 長く組合活動に携わり、多くの人の意見をまとめてきた人の民主主義の形なのだと思った。安里さんが市長選に出馬する際には、1人のリーダーが引っ張る市政ではなく、多くの人が膝突き合わせる市政を目指すのだろうな、と思った。

 「政治家に頼るんじゃなくて、県民みんなが状況を変えようと思う方がいい」。この言葉に、副市長時代を思い出した。本土と同じ医療を受けるのに立ちはだかる壁、島ちゃびと言われた格差。乗り越えるにはみんなの「膝突き合わせ」が必要だと言うのだ。体調に気を付けられて、沖縄の医療格差解決の道を示してほしい。

(琉球新報 2020年3月2日掲載)