高速化が進む世界と戦うために強いスプリント力が求められる陸上男子1600メートルリレー。代表入りするためには、400メートルで45秒台前半のタイムが必須となる。スプリント種目で県勢初の五輪出場を目指す木村淳(28)=中部商高―中央大出、大阪ガス=は昨年末から高校時代の恩師、仲宗根敏晃(52)と10年ぶりにタッグを組み、スピードを突き詰めている。400メートルの自己ベストは46秒00。この壁を突破した時、東京五輪のトラックが見えてくる。
■大きなストライド
幼い頃から快速自慢で、山内小3年の時に陸上クラブのアンテロープに入り、100メートルで県大会優勝などを経験した。強い足首を生かして大きなストライド(歩幅)で推進力を生む走りは当時から400メートルの適性を備えていた。中学3年で、初めて400メートルの公式戦に出た時に県中学新の49秒44をたたき出し、この記録は今も破られていない。
それでも「スピードを磨かないといつか頭打ちになる」と高校も100、200メートルに重きを置き、3年時には200メートルで全国総体2位の好成績を残した。大学3年で400メートルに転向し、4年時には日本陸連ナショナルチームに招集される。実業団ではけがに苦しみながらも持久力に磨きをかけ、2018年に男子と男女混合の1600メートルリレーで日本代表に選出された。
現在はさらなるスピード強化の必要性に迫られている。第1~第4の各走者が前半の200メートルから攻めるのが世界の潮流だが、日本は出だしから遅れ、4位に入った2004年のアテネ以来、五輪での決勝進出はない。高速化の波に乗るため、近年は200メートルが主戦場のスピード力のある選手がマイルリレーで代表選出される傾向にある。木村も「オープンレーンで激しく順位が入れ替わる中、スピードがないと対応できない」と危機感を示す。
■二人三脚
頼ったのが、木村のほか、走り幅跳びの仲元紀清、津波響樹と計3人の日本代表を育てた名指導者の仲宗根だった。
「(東京五輪に向けて)僕の考えと今後の計画について相談したいです」
仲宗根のLINE(ライン)にメッセージが送られてきたのは、昨年10月末。南部九州総体の事務局に勤め、4年近く指導から離れていた仲宗根が「先生でいいのか?」と問うと、木村は「走りの土台は高校時代にできている。自分の動きを知っている人の客観的な視点がほしい」と嘆願。「指導したくてうずうずしていた」という仲宗根は「手伝えることがあるなら」と応じ、練習メニューを話し合うようになった。
2人が重点を置くのが、高重量のウエートトレーニングやジャンプなど瞬発力を鍛える練習だ。もともとピッチ(1秒間の歩数)ではなくストライドの大きさで勝負してきたが、瞬発力の向上で足の運びを速くし、スタートから一気にトップスピードに持っていくのが狙い。400メートルで日本歴代10傑に入る45秒50を安定して切ることが目標だ。シーズンが始まる直前の現在は「高重量を挙げる練習から、重さを落としてなるべく早く動かす練習に変えている」とより実戦的な練習にシフトしている。
2月下旬には、リオ五輪の男子400メートルリレーで銀メダルを獲得したケンブリッジ飛鳥らと沖縄市陸上競技場で鍛錬を共にした。前半200メートルのタイムを縮めるため「爆発的なスピードを出して立ち上がりたい」とスタート練習に注力。仲宗根も「骨盤に体重を乗せ、タイミングを合わせて効率良くトップスピードに持っていけば、体力も温存できる」などと助言し、二人三脚で練習を重ねた。
■同級生から刺激
沖縄スプリント界の第一人者として「沖縄にはスプリントで世界で勝負できる選手がほとんどいない。代表で活躍し、次世代につなぎたい」と地元への思いを力に変える。
各競技で躍動する同級生の存在も発奮材料だ。2年連続でリーグ本塁打王を獲得したプロ野球西武の山川穂高は高校のクラスメート。学校は違うが、東京五輪でメダル獲得が期待される重量挙げの糸数陽一も同級生で親交がある。「みんな活躍していて『くそう』と思うし、めちゃくちゃ刺激になる」と奮い立つ。
五輪陸上出場が決まれば県勢としては沖縄初のオリンピアンとして1972年のミュンヘン男子三段跳びに出場した具志堅興清以来となる。「五輪は壁を乗り越えた人だけが立てる場所。自分もそういう選手になれると信じている」。固い決意を胸に、夢の舞台へ突っ走る。
(敬称略)
(長嶺真輝)