【識者評論】「講和条約」3条の巧妙なレトリック 日本返還後の基地自由使用につながる布石に 豊下楢彦・元関西学院大教授


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豊下楢彦(元関西学院大教授 国際政治論・外交史)

 権威ある賞を受賞した研究書やベストセラー小説などにおいても、戦後の沖縄が信託統治下にあったかのような認識や記述が見られるということは、ダレスが作成した講和条約3条のレトリックがいかに巧みなものであったかを示していると言えるだろう。

 しかし、この信託統治問題は、米国による支配から沖縄返還に至る過程を振り返るとき、実に重要な意味をはらんでいたことが明らかになってくる。

 1965年9月7日、佐藤栄作政権は「沖縄の法的地位に関する政府統一見解」で「米国が、信託統治の提案を[国連]に行わないことをもって、同条[講和条約3条]違反であるとか、米国による施政権行使の根拠が失われたということはできない」との見解を打ち出した。

 岸信介政権でさえ「3条は暫定的なもの」と主張していたにもかかわらず佐藤政権は、米国は国際法の上で沖縄を“無期限”に支配できるとの立場を明らかにした。とすれば、何を根拠に沖縄の返還を求めることができるのだろうか。

 佐藤政権が挙げたのは、沖縄住民の「強い願望」と「米国の好意」であった。ここにつけ込んだ米国は、基地の自由使用であれ、核の有事再持ち込みであれ、米側財政負担の日本による肩代わりであれ、好き放題にさまざまな密約を押し付けたのである。これが沖縄返還の本質であった。それでは、これ以外の選択肢はなかったのだろうか。

 国連は60年12月、植民地と人民に独立を付与する宣言を発したが、実は61年10月、東京の沖縄県人会はこの植民地独立宣言を受け、国会に請願書を提出した。請願書では「国連に受け容れられず、滅び行く信託統治制を沖縄・小笠原に適用せんとする条約条文そのものが、既に存在の意義を失い、生ける屍(しかばね)であります」と指摘し、3条は「死文化」したと断じた。

 つまり、米国が沖縄を支配する国際法上の根拠は失われたのであり、沖縄は国連の宣言に基づき直ちに「無条件解放」されるべきと訴えたのだ。米国と沖縄返還の交渉を行うに当たり、3条の前提が失われているという立場に立つか、3条は永遠に有効であるという立場に立つか、決定的な違いがある。

 前者であれば、問題を国連に持ち出すといった外交カードをも駆使して沖縄の立場を踏まえた交渉を進めることも可能だ。しかし現実には佐藤政権は後者の立場を選び、米国の「ブルースカイ・ポリシー」にコミットして、返還後も基地の自由使用が貫徹されることになった。

 植民地独立宣言から沖縄返還の過程を見直すと、今なお沖縄を事実上支配する「ブルースカイ・ポリシー」から脱却するには、米国との2国間の枠組みを越えて国連や国際社会との関係を深めていくことの重要性が明らかになってくる。

 一昨年5月にグテーレス国連事務総長は「国連軍縮アジェンダ」を発し、今日の「制約なき軍拡競争」が続けば「壊滅的な結末」を迎えるであろうと警告して今こそ世界が「人類、生命、将来世代を救うための軍縮」に向かうべきと訴えた。この訴えを踏まえて、沖縄を、そして日本を東アジアにおける「軍縮」の拠点に据えていくといった大胆な構想を打ち出す歴史的な転換点に立っていると思われる。