被災地からの経過報告、地元紙の役目 岩手日報が3・11特別号外を那覇で配布 川村編集局長「風化大きな課題に」


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「『個にこだわる取材』を続けていく」と語る岩手日報社の川村公司編集局長=6日、那覇市泉崎の琉球新報社

 岩手県の県紙「岩手日報社」(東根千万億社長)は東日本大震災から9年目を迎える11日、震災復興の今を伝える「特別号外」を那覇市のパレットくもじ前とサンエー那覇メインプレイス前で配布する。震災で亡くなった人々の「個」に焦点を当てた企画に取り組んできた同紙の川村公司常務取締役編集局長に復興への思いを聞いた。

 ―岩手県の復興状況は。

 「主な復興事業は約9割程度完了し、最終盤を迎えている。ただ、260世帯635人(2019年末現在)がまだ仮設住宅で避難生活を送っており、メンタル的なサポートは大きな課題になってきている。21年で震災から10年となるが、時間軸としての『10年』という区切りではくくれない状況が次々と出てきている。人口減少や産業の停滞など、当時予想していた課題とは違う課題も出てきた。それに向き合っていかないといけない。同時に風化も大きな課題となっている」

 ―震災の記憶をどう継承していくのか。

 「2011年3月11日、何をどう伝えればいいのかを手探り状態だった。翌12日に陸前高田から戻ってきた記者から『避難所に名簿が張ってあって、それに人だかりができている。それを紙面化してはどうか』との報告があった。最大400カ所で5万人避難していたが、これを14日付の紙面から、紙面掲載を始めた。記者が避難所を回り、デジタルカメラに収め、全社を挙げて名簿を打ち込んだ。22日間で5万人分を掲載した。これが岩手日報の震災報道のスタートだった」

 「12年3月11日からは亡くなった人の写真と人となりを掲載してきた。死者、行方不明者は約5600人いるが、現時点では3400人の顔写真と人となりを掲載できた。『最後の一人まで』と粘り強くやっている。さらに、顔写真を集めるに当たって、2500人の遺族とつながった。16年からは亡くなった方の行動記録『犠牲者行動記録』を始めた。約1300人の行動記録をネット上で点と線に落とし、どのように逃げたのかを示した」

 「風化を防ぐために遺族と対面調査をして、復興状況や心の変化などを刻む『生きた人たちの行動記録』を局全体で取り組んでいる。転居先が不明だったり、連絡が取れなくなったりした方もいるので、全員と接触できるのかは難しいかもしれない。ただ、遺族の思いに耳を傾ける取材を通して(震災取材を)体験しなかった記者にも東日本大震災とは何だったのかを受け止め、体に染み込ませていってほしい。『人名は人命』だと思う。それが東日本大震災の被害者名簿からスタートしたわが社の基本の軸足だ。『個にこだわる取材』はこれからも続けていかないといけない」

 ―全国で号外を配布する意義は。

 「行政の関係、民間交流も含めて多くの支援をいただき、すごく力強い心の支えになってきた。それに対する途中経過の報告をする役目が地元紙としてある。沖縄では首里城の火災があった。岩手県でも修学旅行生がよく訪れている場所なので非常に衝撃を受けている。沖縄の象徴である首里城の火災に対しても『共に頑張りましょう』という思いを伝えたい」
(聞き手 小那覇安剛琉球新報社編集局次長兼社会部長)