[日曜の風]新型コロナ 全人類の「和」で撃退


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 コロナウイルスの「コロナ」はラテン語で「王冠」や「花輪」を意味する。さらに語源をたどれば、古代ギリシャ語にたどり着く。太陽のコロナも同じイメージでつけられた名称である。コロナウイルスの粒子を顕微鏡でみると、いかにもコロナに囲まれているようにみえる。だから、この名前がついた。われわれは、毎日のようにその映像を見せられている。

 コロナには、「光冠」という訳し方もある。つまりは「光輪」だ。光輪は、キリスト教美術において、神様や聖人の頭上を飾る神聖さの象徴だ。仏教的にいえば、光背だ。後光が指しているわけである。こうしてみれば、コロナに悪い意味合いは全くない。それどころか、誠に有り難くて華やかな言葉だ。いくら見た目が似ているからといって、猛威を振るうウイルスに、このおごそかな名称を付与しなくてもよさそうなものだ。もっと、その恐ろしさやおぞましさを上手(うま)く表現するネーミングがなかったものか。

 もっとも、このネーミングも、実は決して捨てたものではないかもしれない。なぜなら、コロナは要するに「輪」だ。そして、この感染症を撃退するには、人々が手を差し伸べ合って輪をつくることが必要だ。全人類を襲う危機には、全人類がみんなで対抗しなければならない。全人類が手をつないで巨大な輪を形成し、助け合い、支え合い、分かち合う。そうでなくては、パンデミックをやっつけることはできない。

 感染拡大を避けながら輪をつくることは難しい。国々がお互いに国境を閉ざし合うこともやむを得ない。人々は接触を極力避けて引きこもるべし。こうした空気が濃厚な中で、一体どうやって人の輪をつくれというのか。筆者にも、具体的な上手い知恵があるわけではない。

 ただ、われわれの心構えと心意気は重要だと思う。物理的にはつながることができなくても、思いは一つ。人類同士が疑心暗鬼や犯人捜し心理でお互いに排除したり差別し合ったりすることは決してしない。この決意を全人類で共有する必要があると思う。「輪」は「和」に通じる。全人類の輪は全人類の和だ。

(浜矩子、同志社大大学院教授)