「人生終わった」からの競技との出合い 進化をやめない48歳 車いすトラック 上与那原寛和〈憧憬の舞台へ〉(21)


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東京パラリンピックへの思いを語る上与那原寛和

 ひたすらに自らと向き合い、進化をやめない。4大会連続のパラリンピック出場を決めている車いすT52の400メートルと1500メートルに挑む上与那原寛和(48)=SMBC日興証券。交通事故によるまひがあるが、不屈の精神で世界のトップ選手に駆け上がってきた。「東京では一番いい色を狙いたい」。パラリンピックで県勢未踏の表彰台の頂へ。最高時速約30キロで駆け抜ける地上1メートルの世界での戦いの頂点に向け、一心に車輪をこぐ。

■スピード強化

 今月17日、嘉手納町陸上競技場。上与那原は100メートルで東京パラ代表を目指す選手との合同練習に汗を流していた。既に代表入りを決めているが、スタートのさらなる強化を重点に置く。「1500メートルは最初で離されるともう追い付けなくなる」と、停止した状態から一気に車輪を回してトップスピードまで上げ、自らを追い込む。「今から準備しないと絶対に間に合わない」と、本番さながらの気迫でレーサー(競技用車いす)と向き合っていた。

 得意の1500メートルでの最大のライバルは、昨年11月の世界選手権で共に表彰台に上がった日本勢の佐藤友祈と伊藤智也だ。上与那原の最高時速は28~29キロだが、2人は30キロを超えるという。トップスピードをより速くし「スタートの200メートルで速度を上げ、そこから一度落として速さをキープする。(他の選手を)捕まえながら、最後に勝ちきる」と、オープンレーンでの駆け引きを踏まえたレース展開を思い描く。スピード強化で400メートルへの好影響も見込んでいる。

 新型コロナウイルスの影響で、今月に予定されていた岡山県での大会が中止になり、次の実戦は5月のジャパンパラとなった。期間が空くが「気持ちを切らさずに準備するしかない」と淡々と練習に向かう。

■長い腕

東京パラリンピック本番に向けて鍛錬を積む上与那原寛和=沖縄市陸上競技場

 事故は28歳のとき。職場からバイクで沖縄市与儀の自宅に帰る途中だった。日が沈み、小雨がちらついていた。北中城村内の下り坂で前方の車をよけた瞬間、右のハンドルとミラーが対向車と接触。跳ね飛ばされ「気付いたら路面に倒れていた」。かすかに耳に入る救急車のサイレン音とともに、意識が遠のいた。

 目覚めると病院のベッドにいた。首を骨折し、頸椎(けいつい)を損傷したことで両手両足がまひしていた。重しを乗せられたようで自由が利かない。まだ20代後半。「人生終わったな」と自暴自棄になり、いらだちを妻・みさお(47)や看護師にぶつけ、毎日のようにけんかした。

 長男・寛人と次男・寛南は当時4歳と2歳。このままでは家族が路頭に迷う。「これじゃいかん。事故は自分のせいだ。できることからやっていこう」と言い聞かせ、前を向いた。リハビリの病院に通い、職業能力開発校で資格も取得した。

 競技との出合いは31歳だった03年。県車椅子陸上クラブ・タートルズ代表の荻堂盛助(72)と知り合い、誘われた。指に残るまひの「リハビリにいいな」という感覚だったが、レーサーに乗ってみると「地面ぎりぎりを走り、風が気持ちいい」と魅了された。荻堂は「腕が長く、ハンドリム(車輪の持ち手)を後ろまで回すためにいい体格をしていた」と誘った当時を振り返る。

 素質は花開く。05年の大分国際車いすマラソンT52ハーフの部で準優勝し、翌年の同大会は日本新記録で優勝。その後もトラック、マラソンで数々の大会を制し、北京パラリンピックのT52フルマラソンで銀メダルを獲得した。トップとはわずか3秒差だった。

■探究心

 最大の強みは、飽くなき探究心にある。競技歴は20年近く、東京パラは49歳で迎えるが「大事なのは上半身の使い方で、年齢は関係ない。まだ伸びしろはある」と頼もしい。障がいの程度が軽く、持ちタイムがより速いクラスの選手の動画を見て「このこぎ方ならもっと早く回せる」と研究を怠らない。

 昨年末、取材に「グローブをハンドリムに当てる角度やレーサーに乗る位置をセンチ、ミリ単位で調整している」と話していたが、今は「やってきたことが合致してきた」とスピードの向上を実感している。自己ベストが1分0秒80の400メートルも「今なら1分を切れる」と自信満々だ。

 ロンドンは400メートルで3位に滑り込みながらラインを踏んでまさかの失格。リオデジャネイロの1500メートルは3位とわずか0・08秒差で涙をのんだ。世界大会で表彰台に上がり続けているが、パラリンピックのトラック競技でのメダルはつかめていない。「勝負する場面の見極めはできてきている」と、大舞台ならではの緊張感を知り尽くしたベテランは苦い経験を力に変える。「いろんな人に応援してもらっている。メダルを取ることが恩返しになる」。今度こそ、忘れ物を取りに行く。

(敬称略)
(長嶺真輝)