一括交付金 自由度を求めるも交渉は難航… 描かれた一般財源化 〈沖縄振興を問う~自立への姿~〉⑥


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藤村修官房長官(当時、右)に沖縄振興一括交付金に関する要請書を手渡す仲井真弘多知事(左)=2011年11月、首相官邸

 2009年9月、沖縄道州制懇話会から提案の手交を受けた仲井真弘多知事=当時=は20年後の沖縄の姿を描く沖縄21世紀ビジョンに反映させる考えを示した。自民党から政権交代した民主党は「地域主権改革」と銘打ち、より一層の改革を政策の「一丁目一番地」に掲げた。仲井真県政は道州制議論の文脈を利用し、地域主権改革に沖縄“独自”の振興体制と自治の在り方を合わせる提案を模索し始めていた。

高い理想掲げ

 「県が考える沖縄の将来ビジョンに沿った組織のビジョンを考えなさい」。11年7月、仲井真氏は県幹部にこう指示した。仲井真氏の念頭には一括交付金制度導入を見据え、沖縄総合事務局の県への移管などの組織改編があった。県は国直轄事業の県移管、国の用途指定など一定の縛りを受けるひも付き補助金の廃止、振興予算総額の一般財源化や補助要項の適用除外など、描いた理想は高かった。

 県と国との交渉は難航した。「沖縄を取り巻く事情は何ら変わっていない。なぜ増額なのか」。各省庁の担当者らは疑問を隠さなかった。仲井真氏も何度も上京する中、要請を現実路線へ変更。交付率や裏負担への財政措置、財務省の事前審査排除などに切り替えざるを得なかった。

 当時副知事だった上原良幸氏は一括交付金について「モデルは橋本首相談話で出た特別調整費だった」と説明する。特別調整費は1995年の少女乱暴事件を受けて、橋本龍太郎首相が談話で表明した。総額50億円が計上され、使途も自由度が高く人材育成事業などソフト事業に充てられた。上原氏は「求めるべきは予算の額より自由度だった」と振り返った。

MICE見直しも

 琉球新報が実施した市町村へのアンケートでは全市町村が22年度以降も一括交付金の継続を望んでいる。一方、政府の一存で予算額が決まる仕組みや減額による影響を課題に挙げる回答も多くあった。県が当初、20年9月の開業を目指していた大型MICE施設整備事業は一括交付金を財源に充てる方針だったが、内閣府は事業の採算性などを理由に交付を認められず、計画の見直しを強いられた。当時の翁長雄志知事は辺野古新基地建設を巡り、国と対立状態にあったこともあり、そうした政治的背景が交付決定に影響を与えたのではないかとの見方も上がっている。

 内閣府関係者は「仲井真知事は一括交付金ではなく、一般財源になる地方交付税でもらうべきだった。沖縄側からも無理を承知で沖縄の国税徴収分くらいの予算要求してみるとか、交渉する努力をしていかないといけない」と指摘した。
 (当間詩朗)

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 復帰後50年近くにわたる政府による沖縄振興は、戦後27年間米国に支配されたことや離島の点在、米軍基地の集中など沖縄の特殊な諸事情に鑑み、沖縄振興特別措置法に基づく沖縄振興計画を根拠に実施されてきた。次期振興計画の在り方を巡る国と県の協議は夏ごろから本格化する見通しだ。沖縄振興制度を巡るこれまでの経緯を振り返り、現状や課題を検証する。