父が捕虜に、身ごもる母襲った悲しみ 照屋礼子さん 米軍上陸(4)<読者と刻む沖縄戦>


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現在の本部町備瀬の集落。男性は米軍に収容され、掃討戦も続いた

 米軍の進攻を逃れ、本部町の山中に逃れていた照屋礼子さん(82)ら家族は避難生活が長引くにつれ、食料不足に悩みます。

 「夜になり、飛行機の音がしなくなると、よその人の畑に行って野菜やイモを取りました。泥棒をしても平気な状況でした」と礼子さんは話します。

 沖縄本島に上陸した米軍は本部半島に進攻し、4月中旬から八重岳周辺で日本軍と激戦となります。5月20日ごろ戦闘が落ち着き、住民は山を下りて備瀬に戻ります(仲田栄松さん編「備瀬史」)。

 父進さんの記録には「休戦状態になり、もう安心だといって壕を引き揚げ、備瀬に戻って食料増産に励んだ」とあります。礼子さんの耳には「女性がアメリカーに乱暴された」という情報も入ってきます。女性は身を守るため顔に炭を塗って老け顔にしました。

 米軍は山から集落に戻った住民を捕らえ、収容地区に送りました。進さんも米兵に捕まります。

 《父はアメリカ兵の捕虜にならないように女性の格好をして山羊の餌を頭上に乗せて、四女を身ごもった母と2人で歩いているところを米兵に見つかった。着物の下からのぞく足を見て、これは男だといって、その場で捕虜になった。母はとても悲しい思いをしたと話していた。》

 進さんの行き先は羽地村(現名護市)田井等の収容地区でした。