島にやってきた「ハト部隊」 海勢頭孝一さん 米軍上陸(6)<読者と刻む沖縄戦>


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海勢頭孝一さん(左)、美佐子さん

 うるま市に住む海勢頭孝一さんから「戦闘体験を語りたい」という連絡がありました。孝一さん(81)は平安座島出身です。米軍の本島上陸前後、島ではデマが飛び交い、混乱に陥ります。妻で同じ平安座島出身の美佐子さん(80)の家族は米軍上陸前、本島北部に疎開しました。

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 孝一さんは1939年1月、美佐子さんは同年5月、平安座の集落で生まれました。

 平安座島は戦争前、マーラン船による海上輸送の拠点でした。やんばるで積んだまきを与那原などへ運び、帰路で日常品を運ぶのです。平安座では海上運送業に従事する男性が多かったといいます。腕利きの船大工もいました。

 マーラン船が活躍した島の様子を孝一さんは覚えています。

 「与那原から船が戻ってくると、まきの香りが平安座の集落に漂ってくるんです。なんとも言えない香りでしたね」

 44年になり、宮城島や伊計島に一時、日本軍が配備されました。平安座島にも時折日本兵が島を訪れたといいます。

 「日本軍の兵隊が島に来て、2、3日宿泊しました。人数は多くて3、4人です。伝書バトを持ってくるので、私たちは『ハト部隊』と呼んでいました」

 ハトは「軍鳩」と呼ばれ、軍隊の通信手段に使われました。

 44年10月、静かな島を米軍が襲います。「10・10空襲」です。