震えて食べたチョコレート 海勢頭孝一さん 米軍上陸(10)<読者と刻む沖縄戦>


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慰霊碑の刻銘板に刻まれた戦没者の名前。太平洋戦争で338人が亡くなった

 1945年5月以降も平安座集落近くのガマにいた海勢頭孝一さん(81)=うるま市=は島に上陸してきた米兵に遭遇することがありました。

 「ガマを出て家族4人でイモ掘りをしているとき、米兵に出くわしました。逃げたら殺されると思い、がたがた震えていると、一人の兵士が黒い物を半分ちぎって自分の口に入れ、残り半分を私にくれました。生まれて初めて食べたチョコレートでした」

 6月に入り、住民の間に「もう戦争は終わりそうだ。南部は全滅らしい」という話が広がります。米軍の命令で宮城島や伊計島の住民が平安座島に移動しました。「島の人口が膨れあがった」と海勢頭さんは語ります。

 9月に米軍が出した「地方行政緊急措置要綱」で「平安座市」が生まれます。平安座島の人口は約4千人になりました。

 戦後の貧しい生活は、朝鮮戦争とその後のスクラップブームで転機を迎えます。「朝鮮戦争前まで島は疲弊した状態が続きました。沖縄も朝鮮戦争で持ち直したのです」

 平安座島では激しい地上戦はありませんでしたが、多大な戦争犠牲を強いられ、戦後の暮らしも混乱しました。太平洋戦争の犠牲者は海外を含め338人で、そのうち非戦闘員は82人を数えます。

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 海勢頭孝一さんの体験談は今回で終わります。次回から奥村敏郎さんの体験を紹介します。