米軍に投降、久志村の野戦病院へ 島袋文雄さん 米軍上陸(22)<読者と刻む沖縄戦>


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島袋さんが米兵に捕らわれた糸満市南波平

 1945年6月下旬、摩文仁村(現在の糸満市)伊原を出た島袋文雄さん(90)=那覇市=は南波平の集落の後ろにあるサトウキビ畑に隠れていました。そこへやってきた米兵に見つかります。

 米兵は小銃を構えていました。島袋さんはとっさに服を脱ぎ捨てます。

 「かぶっていた戦闘帽を外し、上着もズボンも脱ぎ、下着だけになって、両手を手を上げて出て行きました。兵隊と間違えられないように、と思ったんです」

 米兵に捕われた島袋さんは国吉集落に連れて行かれます。

 「誰か生きている人がいるのだろうか、と思ったら、国吉に行くと人がいっぱいいるわけですよ。その後、アメリカ兵が水筒の水を飲ませてくれました」

 島袋さんは米軍のトラックに乗せられ、豊見城市名嘉地の収容所を経て、北部に向かいます。途中、激しい戦闘で変わり果てた首里や那覇の街を目の当たりにします。米軍の豊富な物資にも驚きました。日本と米国の力量の差を思い知らされます。

 「首里城の周辺は真っ白。那覇の街も破壊されていました。嘉手納の浜辺にはアメリカの物資がたくさん置かれていました。アメリカという国はここまで戦争の準備していたんだなと思いました」

 島袋さんが向かった先は久志村(現在の名護市)豊原の野戦病院でした。ここで負傷した腕の治療を受けます。