首里城、動き出す再建(上) 県内職人で再び息吹を 扁額を制作した仏像彫刻師・仲宗根正廣さん


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 2019年10月31日に首里城が焼失して4月末で半年を迎える。2026年の正殿完成を目指す工程表ができ、再建に向けていよいよ動きだす。前回の首里城再建に関わった職人、再建を機に首里のまちづくりに関する新たな取り組みを始める地域住民、民衆や地域も含めた多角的な視点から琉球・沖縄の歴史を学ぶ重要性を指摘する研究者らの思いを紹介する。

首里城焼失の2カ月前、初めて撮影した扁額の写真を示しながら話す彫刻師の仲宗根正廣さん=26日午後、沖縄市照屋

 首里城焼失から半年たった今でも火災当時の写真や映像を直視することができない。「親しい人を失ったのと同じ。喪に服す期間は過ぎていない」。仏像彫刻師の仲宗根正廣さん(67)=沖縄市=は静かに目を閉じた。

 焼失前の首里城正殿に扁額(へんがく)「中山世土(ちゅうざんせいど)」を挟むように展示されていた「輯瑞球陽(しゅうずいきゅうよう)」と「永祚瀛〓(えいそえいぜん)」の二つの扁額の文字を彫る作業に携わった。

 「中山世土」は「中山は代々、琉球国王の国である」という意味で清朝の第4代皇帝、康煕(こうき)帝が尚貞王に贈った。「輯瑞球陽」は、その子で第5代、雍正帝(ようせいてい)が尚敬王へ贈ったもので「琉球が幸せであることを祈っている」の意味。「永祚瀛〓」は「海の向こうにある琉球を永く幸いに治めよ」の意味で孫の第6代、乾隆帝(けんりゅうてい)が同じく尚敬王に贈ったものだ。3人は清朝が一番栄えていた時代の皇帝だった。

 これらの扁額は沖縄戦で焼失し、資料は残っていなかった。そのため復元に向けては皇帝直筆の扁額や古文書などの調査を行い筆跡を推定して再現した。調査、復元には多くの専門家や職人が携わったが、仲宗根さんはその一人だった。

 仲宗根さんがショックから立ち直れないのは扁額の彫刻が全身全霊を傾けた仕事だったからだ。仲宗根さんが大阪の工房で12年間学び、帰郷した92年。首里城正殿はすでに復元されていた。「中山世土」は3年後の95年、県指定無形文化財「琉球漆器」保持者の故前田孝允さんらが復元した。

 地域の獅子づくりなどで実績を積み重ねてきた仲宗根さんに二つの扁額制作の声が掛かったのは2001年。同年11月から毎日12時間作業し約2カ月で完成した。戦争で失ったものを復元する仕事に携わりたいと思い続けていた仲宗根さんは「念願がかない、うれしかった」と振り返った。

 再建は歓迎するが、自分が関わるかどうかについては今は考えることができないという。だが沖縄の歴史や背景を熟知した県内の職人が手掛けることを望んでいる。「若手の職人が復元作業を行う様子を公開できる施設ができたらいい」と求める。復元した扁額もそろった状態で正殿が公開されることを願う。琉球王朝時代、中国の皇帝から贈られた扁額は全部で九つだが、前回復元されたのは仲宗根さんが手掛けたものも含めて三つ。仲宗根さんは「せめて六つは復元してほしい」と力を込めた。

(宮城久緒)

※注:〓は土ヘンに「需」