軍国主義教育の過ちを問う 島袋文雄さん 米軍上陸(24)<読者と刻む沖縄戦>


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亡くなった人に献花する島袋文雄さん=2019年11月28日、名護市豊原

 2017年6月、島袋文雄さん(90)の投稿が本紙に載りました。「今年私は、数え88歳の米寿を迎えることができた。しかし、私にとって戦後は、いまだ終わらない」という書き出しです。

 島袋さんが運ばれた名護市豊原の米軍野戦病院で亡くなり、埋葬された人たちの骨を収集してほしいという訴えです。

 「病院では毎日というほど死者が出て、向かいの墓地に無名のまま埋葬された。当時、私もその運命にさらされたかもしれない。私が今生きているのは、彼らに見守られているからである」

 県にも遺骨収集を求めましたが、周辺には建造物があり、収骨は困難です。島袋さんは昨年11月に豊原を訪れ、花を手向けました。「これまで抱え続けた苦悩が晴れた」と語っています。

 今年3月に体験談を聞いた後、島袋さんから電話をいただきました。「戦争の背景にある教育の問題を掘り下げてほしい」という要望です。沖縄戦で孤児となり、教職の道を歩んだ島袋さんは、今日まで生きながらえたことに感謝しつつ、二度と戦争を繰り返さぬよう軍国主義教育の過ちを問い続けます。

 海上基地建設が進む辺野古の海が見える地で遺骨が眠っています。未収集の遺骨はほかの地にもあります。掘り起こし、可能な限り遺族の元へ戻さない限り、沖縄の戦後は終わりません。