県政変わり振興策で冷遇 辺野古新基地の見返り露骨に〈沖縄振興を問う~自立への姿~〉⑩


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
沖縄科学技術大学院大学の研究内容について説明を受ける当時の仲井真弘多知事(左から2人目)=2010年10月、恩納村

 2004年1月、米カリフォルニア州パサデナ。超難関大学として知られるカリフォルニア工科大学のキャンパスで、県の沖縄新大学院大学設置推進室長だった上原良幸氏はある一文を見つけた。「ここは楽園のようだ。いつも太陽が輝き、空気が澄んでいる。人々は親しみやすく、ほほ笑み掛けてくる」

 同大で客員教授を務めたノーベル物理学賞受賞のアルバート・アインシュタインがパサデナを表現した言葉だった。「沖縄を言い表していると思った。世界最高水準の教育機関は沖縄でもつくれる」。確信めいた予感に胸が高鳴った。

 15年後、予感は的中した。世界有数の学術出版社シュプリンガー・ネイチャーが発表した、良質な論文の発表割合が高い研究機関の19年版のランキングで沖縄科学技術大学院大学(OIST)は東京大学をしのぎ、世界第9位に輝いた。

 政情安定のため

 「沖縄で国際的な学術交流を推進する」。大学院大学構想の出発点に、1996年9月に閣議決定された「沖縄問題についての内閣総理大臣談話」に盛り込まれた一文がある。橋本龍太郎首相(当時)はこの談話の中で、日米安全保障条約はアジア太平洋地域の平和と完全の維持に「極めて重要な枠組みだ」と指摘した。県内移設を前提とした米軍普天間飛行場の返還などに取り組みを進める考えを強調した上で、沖縄を拠点にした学術交流を掲げた。

 産業経済の振興や生活基盤の整備推進―。談話には、日米安保の要石として米軍施設を抱える沖縄の政治情勢を安定させようとする思惑が強くにじんだ。

 「基地と振興のリンク」は公然の事実だったが、“アメとムチ”の構図に対する県民の批判は根強く残った。沖縄の世論を伺い、政府は「基地受け入れを条件に振興策を展開するとの立場に立っていない」(2012年1月、野田佳彦首相)などリンク論を否定してきた。だが、大学院大学を含む沖縄振興策は辺野古移設を沖縄が受け入れることを前提条件に進められてきたのが実態だ。

 政府が掲げる「世界最高水準」という旗印に向け、大学院大学は14年度以降、毎年160億~200億円台の予算が計上され、研究棟などが整備されてきた。だが、辺野古移設を巡り県と国が対立し始めると、沖縄振興予算全体の総額は減額に転じた。

 門前払い

 転換点は12年12月の自民党の政権奪還。仲井真弘多知事(当時)から普天間飛行場の辺野古移設に向けた埋め立て申請の承認を得るため、13年12月に菅義偉官房長官が東京で仲井真氏と密会し「毎年3千億円台の沖縄振興予算の確保」を約束した。

 菅氏はその後、基地と振興のリンクについて「両方の課題を全体に総合的に推進していく意味合いにおいてはリンクしているのではないか」と述べ、これまでの公式見解を転換した。

 「恩人」(政府関係者)の仲井真氏の求めに応じ、政府は14年度の沖縄振興関係予算は概算要求額より52億円積み増し、総額3460億円を確保。“満額回答”がほとんどない概算要求で、満額どころか上積みする異例の厚遇だった。

 だが、辺野古新基地建設に反対する翁長県政が14年12月に誕生すると、15年度の沖縄振興関係予算は一転。概算要求から454億円減額されるなど、“冷遇”が続く。

 「成長著しいアジア市場に最も近接する沖縄に国家戦略として特区制度の活用も図りつつ振興策を総合的・積極的に推進する」

 安倍政権は13年に決定した成長戦略を高らかに宣言したが、辺野古移設を巡り県と対立する中、「沖縄21世紀ビジョン基本計画」で県が沖縄の発展の核と位置付ける大型MICE施設整備や鉄軌道導入などは、事実上の“門前払い”を続ける。「辺野古移設に反対する県政の要望がそのまま通ることはない」。政府関係者は淡々と語った。
 (松堂秀樹)

    ◇    ◇

 復帰後50年近くにわたる政府による沖縄振興は、戦後27年間米国に支配されたことや離島の点在、米軍基地の集中など沖縄の特殊な諸事情に鑑み、沖縄振興特別措置法に基づく沖縄振興計画を根拠に実施されてきた。次期振興計画の在り方を巡る国と県の協議は夏ごろから本格化する見通しだ。沖縄振興制度を巡るこれまでの経緯を振り返り、現状や課題を検証する。