東村高江の避難小屋にいた大城武成さん(83)=那覇市=の家族らは食料がなく栄養失調に陥ります。1歳に満たない妹の順子さんは著しく衰弱していました。
《栄養失調で母親の母乳が出なくなると、まだ乳飲み子である末の妹の順子は誰よりも弱っていきました。笑顔を見られなくなりました。
祖母が一つのイモをどこかの畑から掘り出して持ってきました。たった一つのイモを炊いて順子に食べさせると、離乳食の時期にはまだ早すぎたであろうにもかかわらず、一生懸命にかぶりついておりました。》
順子さんは力を振り絞ってイモを食べたのでしょう。「これが順子の最後の食事になりました」と武成さんは語ります。
家族は高江で1週間ほど過ごした後、再び国頭村奥間に向かいます。食料を求めてのことでした。山を降りたころ、順子さんは息を引き取りました。
順子さんは奥間の南に位置する鏡地集落の砂浜に葬られました。戦後、遺骨を拾うことはできませんでした。「平和の礎」に順子さんの名前が刻まれています。
鏡地や奥間の海岸には公園やパークゴルフ場が整備され、地域住民や村民の憩いの場となっています。観光客が訪れるリゾート施設もあります。この美しい砂浜で75年前、武成さん家族には忘れられない悲しい出来事があったのです。