昨年5月に宜野湾市で開かれた復帰47年県民大会。米軍普天間飛行場の移設に伴う新基地建設が進む名護市辺野古から當山佐代子さん(75)は娘2人、孫4人を連れて親子3世代で駆け付けた。
生まれ育った恩納村から辺野古に嫁ぎ穏やかな日々を送っていたが、米兵による少女乱暴事件の翌年1996年に普天間飛行場の移設先に辺野古が浮上。以降、復帰後も変わらぬ沖縄の過重な基地負担に抗議の声を上げ続けてきた。
今年も迎えた「5・15」の季節は、新型コロナウイルス流行で学校が休校になる中、人混みがない海辺に孫たちを連れて行くことも。「美しい海はうちなーの宝だ。これを埋めて戦争のための基地が造られるなんてとんでもない」と語気を強めた。昨年の親子3代での参加を機に、長女の新垣佐和子さん(43)、三女の新里幸子さん(41)の基地問題に関する考えをじっくり聞けたこともうれしかった。幼少の孫たちはまだ平和行進の意味を深くは理解していない。だが當山さんは「なぜこれだけの人が集まっているのかと疑問を持つだけでいい。大事なことは、それで伝わっていく」と話す。
藤本泰成さん(64)=神奈川県横須賀市=は高校教員をしていた時、「沖縄」に出会った。「教員の組合で日本国憲法について勉強していく中で過重な基地負担を強いられる沖縄の現状を知った」
1996年、高校の修学旅行で引率教員として初めて沖縄を訪れた。生徒と共にガマに入り、元ひめゆり学徒の証言を聞いた。各地に残る米軍基地の存在により、戦争と無縁でいられない沖縄の現実を肌で感じた。「沖縄に行き、自宅近くにある米軍横須賀基地のこともより強く意識するようになった」と話す。
2007年から沖縄平和運動センターも加盟する市民団体「平和フォーラム」に参加し、「5・15」の平和行進の列に加わるようになった。16年からは同団体の共同代表に就任。例年、平和行進に合わせて開かれる県民大会では壇上で平和への思いを語る。
「命の尊厳を守るのが平和の原点。沖縄で学んだのもそのことだ」。教員引退後は直接子どもたちに語る機会がなくなったが、「5・15」で後進の教員たちと交流し、平和運動の意義や運動にかける思いを語り続けている。「私から教員、そして子どもたちへ。私に与えられたのは平和の尊さを次世代に伝える触媒のような役目だと思っている」
今年は新型コロナウイルスの拡大という予期せぬ事態で平和行進が43回目で初の中止に。平和を語り継ぐ機会が失われたが、藤本さんは「伝えるべきことはまだまだある」と次の歩みに思いをはせている。(島袋良太、安里洋輔)
(おわり)