
【名護】1960年5月に発生し、県内でも羽地村(現・名護市)真喜屋で3人が亡くなったチリ津波から24日で60年となる。市立真喜屋小学校(新城高樹校長)に22日、学校や周辺各区の関係者らが復興60年記念樹を植えた。参加者らは「子どもたちに伝えていきたい」と被害を風化させない決意を新たにした。
津波は1960年5月23日に南米・チリ沖で発生したマグニチュード9・5の地震に伴うもの。津波は翌24日未明、約1万7千キロ離れた地球のほぼ真裏にある日本や沖縄を襲った。

津波は午前5時半ごろ、沖縄に到達した。「名護市史・本編11」や当時の本紙報道によると真喜屋区では死者3人のほか、住宅の全壊7、半壊10、床上浸水195軒の被害が出た。真喜屋大橋、屋我地大橋も流失した。亡くなったのは80代と70代、10代の女性3人。午前6時ごろに津波が来ると聞いて家から避難中、波にさらわれたという。
真喜屋小学校も校舎が半壊した。当時同小4年で、隣接する稲嶺区から通っていた新里隆さん(69)は「津波の時間がずれていたら、学校で巻き込まれていた」と青ざめて話す。

新里さんは海沿いの自宅から約1~2キロ離れた高台に幼い妹を連れて夢中で逃げた。津波が引き、家に戻ると約1・8メートル近くの高さまで水につかった跡があった。2011年の東日本大震災の津波被害をテレビで見るたびに、真喜屋周辺の津波被害を思い起こすという。
植樹は学校が発案し、新里さんらが木を提供した。真喜屋区、稲嶺区、源河区、仲尾次区の協力を得てホウオウボクなどを植えた。22日は犠牲者に黙とうした後、記念プレートを設置した。新里さんは「60年たって、津波被害を知る人も地域には少なくなってきた。子どもたちにしっかり伝えていってほしい」と願った。
(塚崎昇平)