集落に米兵、誰も抵抗せず 安里一三さん 壕の中で(11)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 嶋野 雅明
安里さんたちが隠れていた壕があった「あやかりの杜」の周辺

 1945年4月1日、沖縄本島の中部西海岸に上陸した米軍は、日本軍の激しい抵抗を受けないまま進攻します。その日のうちに安里一三さん(87)=北中城村=らが避難していた壕のある中城村(現北中城村)喜舎場に米兵が現れます。

 《4月1日午前、米軍は北谷の海岸に上陸したのである。大変よい天気だった。その日午後1時ごろ、米軍は私の部落近くまで到着したのである。》

 壕は見晴らしの良い場所にあり、避難していた住民は米軍の動きを見ていました。喜舎場国民学校に駐屯していた第64旅団は別の場所に移っていました。

 「米兵がジープを乗り回していました。こっちには日本兵はいないし、もう静かですよ。弾一つ飛ばなかったし、空襲もありませんでした」
 住民は米兵に捕まったら殺されるという噂(うわさ)を聞いていました。「日本兵も悪宣伝をしていました」と安里さんは語ります。

 そして、2日午後2時ごろ、1人の米兵が銃を持って壕の中に入ってきました。「壕にいた大人の一人が『相手は1人だ。みんなでたっ殺(くる)そう』と言い出したんですが、誰も反応しませんでした。みんなびくびくして、同調しないんです。抵抗していたら、どうなっていたか」

 住民は壕を出て、米軍のトラックに乗せられました。安里さんの戦後はこの日から始まりました。