3歳上の兄、戦争で犠牲に 安里一三さん 壕の中で(13)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 上里 あやめ
現在の喜舎場集落。161人が戦争の犠牲となった

 安里一三さん(87)=北中城村=は収容地区を転々としている間、前原高校に入学しました。一時コザ高校に在籍し、野嵩高校の一期生として卒業しました。今の普天間高校です。

 「机や椅子はありません。生徒が作ったんです。鞄の中にはいつもハンマーが入っていました。生徒が高校を築いたんです」

 野嵩高校では芥川賞作家の大城立裕さんが教壇に立ち、文学を指導していたことを覚えています。何もない学校でしたが、生きる希望はありました。卒業後、米軍基地や野菜店で働き、後に郵便局に勤めました。

 沖縄戦で3歳上の兄、憲治さんを失いました。県立一中の生徒で鉄血勤皇隊の隊員となり、繁多川で亡くなりました。

 「北中城村史」に収められた一三さんの実父、永太郎さんの証言によると、憲治さんは米軍上陸前の一時、喜舎場にいました。永太郎さんは那覇に戻らぬよう説得しましたが、「非国民扱いされる」と心配する憲治さんを止めることはできませんでした。

 永太郎さんは「当時の教育を受けていたらそうなって当然だったかもしれませんが、私の本音としては行かせたくありませんでした」と語っています。

 「北中城村史」によると161人の喜舎場住民が戦争で亡くなりました。集落の慰霊碑に憲治さんの名が刻まれています。

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 安里一三さんの体験談は今回で終わります。次回から津波高徳さんの体験を紹介します。