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佐敷村(現南城市佐敷)津波古の壕を離れ、知念村(現南城市知念)志喜屋に到着した津波高徳さん(86)=那覇市=は叔父の知人の案内で自然壕に隠れます。
《早速、避難場所を案内してもらい、山手の自然岸の裂け目に一同が腰を下ろすことになった。私たちの命を救った第一の場所、タタンシチーである。》
「タタンシチー」は志喜屋の10戸ほどの住民が隠れた壕です。
「知念村史」には「志喜屋から玉城村垣花へ上る坂道にある熱田原貝塚の南側の崖下にある。入り口約7メートル、高さ2・5メートルで、畳を敷いたような平滑な石が入り口にあり、外部から完全に遮断された洞窟である」と紹介されています。近くにある「ヤローヤー」という壕と共に「志喜屋で最も安全な壕であり、兵隊も入ってこなかった」といいます。
この壕で2晩ほど過ごした後、米軍が近くまで来ているという叔父の指示で再び津波古の壕に戻ることにしました。
《日が暮れるのを待ち、荷物を担ぎ、壕を出て歩き始めた途端、進行方向の左側の草むらから一斉射撃を食らった。闇中、閃光に恐れをなしてタタンシチーに戻った。一人の犠牲者もなかった。》
タタンシチーに戻った津波さんは、黒糖と芋くずを湯で固めた携帯食を食べて過ごし、脱出の時を待っていました。