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ファンに愛された希代のエンターテイナー引退 B1レバンガ北海道の松島良豪(上)<ブレークスルー>


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 プロバスケットボールBリーグ1部、レバンガ北海道の松島良豪(28)=コザ中―小禄高―国士舘大出=が、3月で終了した2019―20シーズンを最後に7年間の実業団、プロ生活に終止符を打った。1試合で18本というリーグ歴代最多アシスト記録を持つ優れたパサーは、試合前にダンスや寸劇でホーム会場を盛り上げる芸持ちでもあった。「劇団松島」。誰が付けたか、そう呼ばれるようになった南国生まれの“希代のエンターテイナー”は、北の大地でファンに深く愛された。

優れたパスセンスを武器に、司令塔として活躍した松島良豪(レバンガ北海道提供)

■2人がハッピー

 沖縄市出身。父はコザ中でコーチを務め、琉球ゴールデンキングスに所属する並里成らを育てた名将、良和さん。母・照代さん、姉・有梨江さんも元実業団選手というバスケ一家で育ち、自宅のテレビで受信できた米軍放送で幼少期から米プロバスケNBAに親しんだ。憧れたのは1980~90年代にNBAを席巻したパスの名手、マジック・ジョンソン。ヒーローの一つの名言から、バスケ人生の指針を得る。

 「得点は1人だけがハッピーだけど、アシストすると2人がハッピーになれる」

 「なんていい言葉なんだ」と幼心に突き刺さった。良和さんや小禄高時代の嘉陽宗紀監督(現豊見城高監督)の下でパスセンスを磨き、高校2、3年で全国を経験。国士舘大は関東リーグ2部で「プロは無理だな」と考えていたが、4年時に主将として1部昇格を果たし、在学時の14年にNBL(当時)の兵庫ストークスに入団した。

 185センチの長身ポイントガードとしてアシストと激しい守備で存在感を発揮し、15年に北海道から誘いを受け、「人生の分岐点」と振り返る移籍を決断する。49歳まで現役を貫き、日本バスケ界の“レジェンド”と称されるシューターの折茂武彦と出会い、ガードとしての素質がさらに引き出されることになる。

■レジェンドの指南

 「考えてバスケをやってるのか」「なんで今のプレーでパスしないんだ」。北海道に移ると、20年以上にわたり国内の第一線で活躍してきた折茂から容赦ない指摘を受けるようになった。毎日のように練習で怒られたが「これだけ言ってくれる人の指摘は大事にしたい」と食らい付く。タイミングに時間の使い方。培ってきたパスセンスに「考える技術」が上積みされ、徐々にゲームコントロール能力が養われていった。

 結果に表れたのが入団4年目の18~19シーズン。それまでベンチからの途中出場が多かったが「選手の組み合わせ次第で、どのプレーを選択するかという判断力が伸びた」と司令塔として成長し、スターティングファイブに定着した。このシーズンは左足を骨折して途中離脱したが、その時の平均6・4アシストはリーグ2位の数字だった。

 18年12月27日の千葉戦では圧巻の18アシストを記録。ちなみに、得点はゼロ。「僕らしい美学が出てる。並の徹底力じゃこれを超えるのは難しいですよ」と笑う。昨季アシスト王、千葉の富樫勇樹の1試合平均が6・5だから、際立つ数字だ。この大記録はいまだに破られていない。

力士の仮装をしてホーム会場を盛り上げる松島。ファンに「劇団松島」と名付けられ、試合前の恒例行事だった(レバンガ北海道提供)

 人なつっこい笑顔が印象的な松島。幼い頃から「人が楽しんでいるのを見るのが好き」と言い、17―18シーズンから自らの発案でホーム戦前には決まってコートでショーを披露するようになった。マジック、仮装、ダンス。多彩な試みで楽しませた。試合での華麗なラストパスを含め、パフォーマンスを心待ちにするファンからいつしか「劇団松島」と呼ばれるようになり、親しまれた。

 最終シーズンは新型コロナウイルスの影響で途中終了となったが、コート内外でリーグに確かな足跡を残し「悔いは全くない」と言い切る。「指導者の道を歩みたい」。次のステージを見据える松島のまぶたには、父や嘉陽監督ら恩師たちの背中が映る。

(長嶺真輝)