米兵呼び掛けで壕出る 比嘉初枝さん 壕の中で(22)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 上里 あやめ
現在の南城市知念字知念の海沿いの集落

 比嘉初枝さん(83)=豊見城市=が隠れていた壕がある玉城村(現南城市玉城)前川に米軍が迫っていました。「米軍に捕まれば男は殺され、女は辱められる」という話が広がっていました。父と兄は壕を出ます。

 「他の家族でも男は壕を出て逃げ回っていました。女性やお年寄り、小さな子どもが壕に残ったのです。疑問には感じませんでした」と比嘉さんは語ります。

 6月に入り、米兵が壕の周辺に姿を見せます。

 《突然米兵がやってきて「カマン、カマン」と手招きをした。私は泣きながら手を上げた。その後、米兵は壕の中をのぞき込んで、けが人が歩けないことを見て「ザッツオーライ」と言って去った。米兵は担架を持ってきて母やいとこを運んでいった。》

 比嘉さんらは知念村(現南城市知念)字知念の海沿いの集落でしばらく暮らします。父、兄とも合流しました。

 戦火が収まった後、比嘉さんは衣類を取るため前川集落に戻り、壕も訪れました。入り口に積んであった芋から芽が出ているのを見て戦争中のことを思い出し、涙がこぼれました。

 「前川民間防空壕群」は住民の命を守りましたが、失われた命もあります。「集団自決」(強制集団死)も起きています。比嘉さんは戦後、この悲しい地を訪れていません。

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 比嘉初枝さんの体験記は今回で終わります。次回は壕によって救われた命の話を紹介します。