義母、新たな命育む 古波鮫孝子さん 壕の中で(23)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 上里 あやめ
古波鮫孝子さん

 壕で救われた命があり、失われた命がありました。壕に救われた命は新しい命を宿していました。西原町の古波鮫孝子さん(81)が義母スミさんの体験を語ってくれました。

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 孝子さんの義母、スミさんは1945年、激しい地上戦のさなか、3人の子を連れて糸満の壕を転々とし、命を守りました。日本兵に壕を追われたこともありました。この時、スミさんは4番目の子を身ごもっていました。防衛隊に取られた夫は戦死しました。

 米軍に捕らわれたスミさんは11月、収容地区となった金武町中川区で女の子を生みました。「芭蕉の葉や米軍の落下傘で赤ちゃんを包んだ、と義母は話していました」と孝子さんは語ります。家族はその後、うるま市塩屋を経て、天願と昆布の間にある「山天願」という地で暮らしました。

 スミさんは米軍基地で働きました。長男で後に孝子さんと結婚することになる唯釋さんは、収穫が終わった畑に捨てられていた小さなイモを拾い集め、家族で食べたといいます。

 スミさんは20年前に他界し、唯釋さんも1年前にこの世を去りました。病床では戦争や亡き母のことを回想していたそうです。「義母のことを思い出し、夫は涙を流していました。『母と二人三脚でやってきた。どこにいない母だった』と話していました」と孝子さんは語ります。

 新たな命を育み、支え合う。戦火を逃れ、壕で身を守り、懸命に戦後を生きた家族でした。

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 「壕の中で」は今回で終わります。次回から「捕らわれた日」を始めます。