沖縄県は23日、沖縄戦から75年目の節目となる「慰霊の日」を迎え、最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で県と県議会主催の「沖縄全戦没者追悼式」が開かれた。玉城デニー知事は「平和宣言」で「私たちは戦争を風化させないための道のりを真摯に探り、我が国が非核平和国家としての矜持(きょうじ)を持ち、世界の人々と手を取り合い、この島が平和交流の拠点となるべく国際平和の実現に貢献する役割を果たしていくために、全身全霊で取り組んでいく決意を宣言する」と述べた。昨年に続いて今年も一部をウチナーグチと英語で読み上げた。
■知事、辺野古に言及
平和宣言で玉城知事は、戦後75年を経た現在も、国土面積の約0・6%の沖縄に日本国内の米軍専用施設の約70・3%が集中し、米軍人などによる事件事故、米軍基地に由来する水質汚染などの環境問題が県民生活に多大な影響を及ぼし続けていると訴えた。
名護市辺野古で進められている新基地建設の場所である辺野古・大浦湾周辺の海は、絶滅危惧種262種を含む5300種以上の生物が生息している「ホープスポット」だと言及。「自然豊かな海や森を次世代に残していくために責任を持って考えることが重要だ」と強調した。新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい、不安や差別が社会を分断している状況を踏まえ、「だからこそ世界中の人々がそれぞれの立場や違いを認めあい、協力し、信頼しあうことにより、心穏やかで真に豊かな生活を送ることができる」とし、「今こそ核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立のため総力をあげてまい進しなければならない」と誓った。
追悼式には初めて国連から軍縮担当上級代表の中満泉事務次長がビデオメッセージを寄せ、「沖縄戦から75年経った今、大国間の緊張が高まり、新たな冷戦とも言われるほど国際安全保障環境は悪化している。新型コロナウイルス危機、気候変動、持続可能な開発など地球規模の課題の解決に向けさらなる多国間の協調が求められる一方、国際関係は多極化・複雑化し、国際的な規範や枠組みが軽視される傾向がある」とした上で、「今こそ、軍縮への取り組みが必要だ」と強調した。中満次長は沖縄県民に対し、「沖縄戦の惨害を乗り越え、戦後の復興と平和の実現に命を捧げてきた沖縄の皆さまの熱意と功績を若い世代に伝え、国際平和の維持と促進に努めることが、この地で亡くなったすべての方々への大切な供養ではないか」と呼び掛けた。
■広島と長崎市長が初のメッセージ
追悼式には、同じく初めて原爆の被害を受けた松井一実広島市長と田上富久長崎市長がビデオメッセージを寄せた。松井市長は「戦争や核兵器のない状態こそがあるべき姿だということを世界の市民社会の共通の価値観にしていかなければならない」と述べ、戦争や原爆のない世界恒久平和の実現へ連帯を呼び掛けた。
新型コロナの影響で安倍晋三首相や衆参両院議長、関係閣僚らは参加せず、ビデオメッセージで安倍首相は「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓いを貫き、平和で、希望に満ち溢れる世の中を実現する。そのことに今後も不断の努力を重ねていく」とした上で、沖縄の基地負担の軽減に結果を出していくとした。辺野古については言及しなかった。
平和宣言の後、県立首里高3年の高良朱香音さん(17)が平和の詩「あなたがあの時」を朗読した。沖縄戦を生き延びた戦争体験者から聞いた悲惨な体験を盛り込み、「平和な世界を創造する」と決意を示した。
今年の沖縄全戦没者追悼式を巡っては、玉城知事は一時、従来の式典広場から国立沖縄戦没者墓苑に移す方針を示したが、その後、元の式典広場に戻した。有識者らからは「『殉国死』を追認することになる」と異論が上がり、市民レベルでも追悼式や平和行政のあり方について議論が活発に交わされた。
沖縄戦などで亡くなった人の名前を刻んだ公園内の「平和の礎」には、朝早くから多くの人たちが手を合わせる姿が見られた。礎に刻まれた名前は総数24万1593人。断続的に雨が降く中、続々と訪れて戦争に命を奪われた大切な家族を悼み、恒久平和を願った。追悼式は新型コロナウイルスの影響で規模を縮小して行われ、参加者は主催者発表で161人。